総裁選挙が近づいてきて、各候補のアピール合戦なわけですけど、
夜のテレビ出演の合間に、地元から上京してきてくれた妻が食事を作ってくれました。
— 岸田文雄 (@kishida230) September 1, 2020
ありがたいです。#岸田文雄 #自民党総裁選 #束の間のひととき #妻の手料理 pic.twitter.com/tWWgML58l2
これ。
こっちだったらなぁ、とは思いますけど
これはリモコン特定だった
こっち
(あえて痛いニュースをメディアとして挙げています)
食卓も何もかもすべて、家族の多様性なわけで、人がとやかくいう話しでもないです。ポテトサラダおじさんと同じことになっちゃってる。この家はこうなんだ、それで終了なのに別の目線で大騒ぎしちゃって。
けどまた、私自身も有権者の一人として、別の目線でがっかりしているのは事実。なんでがっかりしているかというと、「打ち捨てられちゃったな」という思いがあるため。
--- nanairo125さんによる写真ACからの写真
まずは食卓の景色について考えてみる。
50-60代の食卓の景色
50-60代の「家に帰れば食事があるおじさん」むしろ70-80代の「座ってても自動的に食事が出てくるおじさん(おじいさん)」にとっては、前掲ツイートの写真は普通の光景でしょう。
さて、これらおじさん、おじいさんは私たちの対岸にいる人たちなので、以後は「彼ら」と称します。
妻が食事を作り供すこと
妻が食事を作り供すこと、それは彼らにとっては「普通の光景」です。
むしろ、総裁候補である政治家が、普段は男所帯で、スーパーに立ち寄り食材を買い、家では洗い物を担当するなんて、異常な光景なんでしょうね。「尻に敷かれおって」みたいな。「妻は何をしているんだ」みたいな。 当該総裁候補者の配偶者さんは、地元で活動されているそうです。二人ともしっかり働いてるんだよ。
「買い出しをする間にも、食器を洗う間にも、国政のために働け」そういう意見もあるでしょう。
そう憤る彼らの姿を想像するに難しいことはないです。だって身近で見てきたもんね。自分の父親だったり、会社のおじさんたちだったり。
私たちの食卓
今の私たちにとっては、そういう「彼らの普通の食卓」は過去のものであって、今どき「男児厨房に入らず」みたいなこと言う人はほとんどいない。
年に4桁万円を稼いでも家族の為に毎日の夕飯を作ってる男性もいるし、どんなに残業で遅く帰っても食器洗いは自分の担当なんだ、家にいられない分やる、という男性もいる。子どもを保育園に送るチャイルドシート付電動アシスト付き自転車に、弁護士バッチをつけたままバリっとしたスーツにピカピカの革靴で乗る人もいる。
一事が万事そういう感じなので、私たち30-40代の家庭の食事の風景は違うものになった。
「うちは毎食夫が作ってますよ」「そうなんですか~」
「うちは毎食私が作ってますよ」「そうなんですね~」
「うちは休日は夫が作ることがおおいですね」「そうなんですか~」
「うちはほとんど外食ですね」「そうなんですね~」
そして、その風景がどうあれ、私たちは「そうなんですね」で受け止め合う価値観を共有している(はず)。
訴求先はどっちか
さて、そういう、男女の別なく協力し合って食卓を囲む私たちと、食事がほぼ自動的に出てくるおじさま・おじいさま、「彼ら」とがいて、当該総裁候補が訴求したいところはどっちかというと、自明ですね。なるほど「票田」はそっちか、と。
「それでこそ男だ」「それでこそ政治家だ」そう褒めてくれる方向を向いてるんだ。
なるほどね、と思うついでに、私たちは訴求対象じゃないんだ、スルーされてるんだ、とむなしくなった。
彼らと同じく、等しく持っているはずの私たちの選挙権が透明化されている。もしかして、私の票って投票箱以外のところに行ってるのかな、と疑ってしまう程度に、私たちは「票田」じゃないんだ。
確かに日々の暮らしに忙しくて、政治家の会合なんていける間もないしそもそもお招きもない。各種団体が良くやる「ロビー活動」も継続してできるものではない。こと子育てについては保育園問題で動こうにも、当事者である期間が短くて継続的な活動は難しい。保育園問題が終わったら教育問題だ、労働問題だ、介護だなんだと毎年課題が違ってしまう。
そもそも政治家に会いに行くタイミングがない。だって定時で働いて、家に帰ったら子どもたちもいるんだし。
ああ、私だって政治家のみなさんに「ひとつよろしく」って意味深な笑顔を向けたい。私たちも「票田」ですよ、と分かってほしい。
「次の総裁候補(総理大臣候補)」は私たちを見てくれると期待していた。けどまだまだ、スルーされてしまう。目にも入らないらしい。
でも打ち捨てられて悔しいというだけで終わらせちゃいけない。これからも、政治家のHP見る。SNS見る。議会での発言も見る。
選挙に行く。
絶対に行く。