鬼滅の刃が最終話第205話を迎えました。いちファンの私としては、カナヲの顔で「良かった」と思うのみです。
鬼滅の刃が完結して、良かった、と思うのは「鬼滅の刃の本質は語りつくされた」と思うからです。
かねてから鬼滅の刃には「仏教」のモチーフを感じていました。
「鬼滅の刃」は仏教の教えをなぞっている説(自説)
鬼滅の刃は仏教の教えをなぞるものなのではないか、と思っています
そして更にずいずい考えていくと、いろんな要素が仏教の教えに当てはまっていくのでした
珠世の「薬」=生老病死(四苦)
最終決戦にて鬼・珠世は無惨に「薬」を自分の身ともども吸収させます(鬼滅の刃 16 138話「急転」)。
ここから珠世の「薬」である四苦が始まる。
ところで四苦とは、ということでウィキペディアからの情報です
生
生きること自体が「人間」の苦しみとするもの。
「人間に戻る薬」により鬼が人間に戻り、人間として生きるようになる。そしてその「人間として生きる」ことは苦しみでもあります。
無惨はただ「太陽を克服したい」その思いで那智暴虐の極みを行い続けているわけでして、鬼として生きながらえることを望んでいます。
そこに「人間に戻る」ことは、太陽を克服することを意味しつつも、鬼としては生き続けられないわけで、結局無惨にとっては耐え難い罰となるわけです。
老
そして「老い」
ひとは老いるものなのに「私の嫌いなものは変化だ」といい若い見た目を保っていました。
病
無惨の分裂を阻害することは「病」の苦しみを味わわせるものだと思ってます。今まで出来ていたことができなくなる、病とはそんなものですし
死
そんでしね、無惨、と。
珠世様の恨みが深くてこわい(けど好き)。
他にも
「六識」というもんを知りまして、炭治郎の鼻が効くこととか、善逸の聴覚や、伊之助の触覚、カナヲの視覚、そして玄弥の味覚(鬼食い)は「五感」だと思ってたんですが、どうも六識のほうなのでは、と
6つめの「識」は「意識」とのこと、禰豆子を表すのか、それとも同期の5人を合わせて「意識」をなすのか、もうちょっと読み解きたいところです。
と言った感じに仏教の教えが随所でストーリーの肝となる。これはすごいことだ。「漫画でわかる仏教」みたいな漫画以上に「仏教が分かる漫画」です(断言)。
そしてそれらは、全205話で語りつくされた、そう思うんです。
「鬼滅の刃」4年3カ月の連載に幕 - コミックナタリー
これで既存のストーリーを深く長く愛せる 良い漫画に出会えてよかった
2020/05/18 12:07
良い漫画に出会えてよかった。そればっかり思う最終話の夜でした。