相変わらずほとんど毎日、鬼滅の刃をKindleで読んでprime videoで観て、折に触れ名シーンを思い出して考察し、ついには月曜早朝配信の週刊少年ジャンプ電子版が目覚ましアラートなんですけど、
鬼滅の刃が、ここまで人の心に響く理由。ここに来てわかってきたので書きたいんです。しかし、自分の知識の量がツヤツヤのどんぐり一粒程もなくて、なんだか泣いてしまいそうです
しかしここに記しておきたい。私の考えはここに書くのです
なおこちら雑記ブログ故にネタバレ考察とかまでいきません。そんな大したもん書ける知識が欲しい。
人は生きる上で道具を使ってきた、ということ
鬼滅の刃公式ファンブック 鬼殺隊見聞録 を読むに、鬼滅の刃の前身「鬼殺の流」(きさつ の ながれ)では、まぁもうフォローのしようがない主人公でして。
ファンブック未読の方には申し訳ないですけど文脈上お話ししますね。
鬼滅の刃公式ファンブック 鬼殺隊見聞録 (ジャンプコミックス)
流(ながれ)は孤児で、育手の爺さん(鱗滝さんみたいな)に剣術を教わり、最終選別で鬼に襲われ失明し、片腕を失い、両足も失います。
そういったわけで鬼殺の剣士として活動するためには両足に竹製の義足をあて、隻腕で刀を振るいます。
(あと顔や生い立ちのキャラクターデザイン的に富岡義勇さんの前身かな、と思ってます)
孤児であり、盲目、隻腕、義足。この不具にして、剣士となり鬼から人々を守る。
お
も
た い…!!!
重たい!!!
ジャンプ編集部の感想「主人公として暗すぎる」。ほんとそうです。読者、というか私ドン引きしました。
鬼ならどんだけザクザク切られても修復するからいいでしょうに、、と思いました。
でもこの「鬼なら、修復できるんだからいいだろうけど」という感想から思考がつながっていき、こう思いました。
「道具に頼って生活しやすいようにする。それって人間にできることの一つだな」と。
私は強度近視ゆえにメガネかコンタクトをしないと自分の家の中も歩けないんですが、眼鏡という道具があるから生活ができているんですね。
そういう意味では誰かしら、道具の力に頼って生きている。生活しやすいようにしている。
「眼鏡があるから目が見えるね!」みたいなことを漫画にされても「そうですね」程度の受け止めしかないですよね
だけど、肢体不自由であっても道具の力を借りて闘うヒーローの姿を見れば、何かしらの不自由があっても、道具や仲間の力に頼って困難に打ち勝つことができる、という理にたどり着くことができるのではないでしょうか。
たぶん「鬼殺の流」で副次的に描かれるのは、その姿なのだと思います。
ずば抜けた才能を持っていたり、むしろ宇宙人だったり、生まれつき幽霊がみえたりする天性の才能があったり、実は血統がえらいことなってたり、悪魔の実を食べちゃったり、そういうことでヒーローになっていくキャラクターが多いジャンプヒーローの中、
連載初回から泣くわ土下座し妹の命乞いするわ、いきなり説教喰らうわ刀の柄で背中ゴンされて気絶するわ、初回でわかる特技ときたら嗅覚が鋭いことくらいの、いいとこのない主人公が、厳しくも優しい育手の指導を受け、戦い、仲間と共に成長し、傷つき時には仲間を失いながら、剣士として戦い抜いていくその様子。
そこなんだろうなぁ、と。
最終決戦においては、炭治郎は右目を失いかけています。
ですが、炭治郎は戦い続けています。
左足を失った悲鳴嶼さん、右腕を失った義勇さん、視力を完全に失った伊黒さん、右目を失明したカナヲ。
その中で、両目を負傷し視力を失った伊黒さんは「右目はもともと弱視でほとんど見えなかった」と言い「俺には鏑丸がついている」と、無惨の動作を的確に予知し伝える、白蛇の鏑丸とのコミュニケーションをもって、決戦を乗り切っています。
人間だから、道具や人、動物に頼ることができる。
その自分以外の何かに「頼る」ことの尊さを考えるのでした。
他にもいろいろ考えてることあるんですけど今日はこのへんで。月曜は朝5時に起きないといけないんです。本誌待ちなんです。もう寝ます