母のことはおおむね好きなのだけど「ああ、ここはそうなんだな」と思った。いよいよ母と違う人になった自分がいた。
私はオリンピック2020の開催中止を支持する。
この一年ずっと自粛してきた。子どもたちにも我慢をさせてきた。苦しい一年だった。
毎日報道される「新規陽性確認者数」「病床使用率」「死者数」そのすべてにその数以上の人生がある。
感染者の囲い込みが確実になされていたのなら、保健所機能がパンクしなかったなら、ペラペラのマスクが配られなかったなら、感染者の報告システムが、接触確認アプリが機能していたなら、入国時の検疫でしっかりとした隔離が行われていたなら、「4人以上の会食を控えてください」と発したその口が4人以上で高級ステーキを食べなかったなら。
為政者による政策が愚かでなかったなら、その人は今も笑顔で生きていたはずではないか。
毎日政治に憤っている。その政治が「オリンピックは開催する」「安全安心なオリンピックを」「アスリートファーストで」と言い続ける。どの口がいうか。
すべてに憤っている。
ホテルに缶詰めで、食事はカップ麺…欧州選手団が怒った五輪前大会の低レベル 運営のやる気がまるで感じられない | PRESIDENT Online(プレジデントオンライン)
ホテルステイならホテル内のジムを使い放題にするとか、ビュッフェスタイルでアスリートが自分で量も食べるものも選べるシステムにしたらいいのに。現場にお金も人も知恵も思いやりも行ってないの?
2021/05/11 16:09
そんな中で、郷里で聖火リレーが開催された。沿道に行った姉が動画を送ってくれた。
生まれ育った田舎道の景色の動画。そこを走り抜けた、キラキラしたトーチを掲げて笑顔で走るランナー。「すごかったよ~」と感想を添える姉。
申し訳ないのだけど、誰にも罪はないのだけれど、どうしても祝福の気持ちは起こらなかった。
両親も沿道に行ったらしく、ご様子伺いを兼ねて「リレー見に行った?」とメッセージを送った。大興奮のメッセージが返ってきた。
「日本はすごいね。いろんな企業に支えられている。スポーツはいいものだね」
申し訳ないのだけど、そうだね、とは返せなかった。良かったね、とだけ返した。
郷里の方でも感染者が増えているとはいえ、その範囲は老人保健施設などの限られたもので、社会生活上の制限はほとんどないのだろう。高齢者向けワクチンの接種も始まっている。*1
地元にはすでに安寧が訪れているように思う。
つまりは、母と私とで「このコロナ禍に対するの思いが違う」のであって、そしてオリンピックへの思いも違う。
無事に開催されたとして、母は、アスリートたちの競技に感動するだろう。私はそれに感動なんてできないだろう。
もし中止になったなら、母はがっかりするだろう。なぜ中止するんだと思うだろう。私は、中止の判断を支持するだろう。
ひとつの行事についてのみでも、母と私で全く意見と受け止めが異なる。
幼いころから共有してきたであろう価値観はそこにはない。
彼女が、私の手を引いて見せてくれた景色から、ずいぶん遠いところに来てしまった。
それが親子というものなんだろう。
娘たちも、同じ感情を味わう日が来るのだろう。
だからと言ってもう母に会えないとかいう話しでもない、というのも親子の感情のむず痒いところである。
早くお互いワクチンを打って、感染の不安なく郷里に戻れる日が来るように願うのみ。
*1:郷里の自治体は小さい町ながらデジタル面がしっかりしているのが良い。地元に残って町役場に入ってくれた同級生たちに感謝するほかない。