ほぼ黒ワンピース生活

ほぼ毎日黒のワンピースを着ています。考えたことなどあれこれと。

新書レビュー|「家事労働ハラスメント」

岩波新書「家事労働ハラスメント」を読みました。

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書籍紹介 

読んだ本はこちらです。

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食事の支度や後片付け、洗濯、掃除、育児に親の介護……。本来、だれもが必要とする「暮らしの営み」のはずの労働が、不公正な分配によって、どのように生きづらさや貧困を招き寄せていくのか。終わりなき「見えない労働」を担う人びとが、社会から不当に締め出されている実態に光をあて、直面する困難から抜け出す道を内外にさぐる。

---Amazon 詳細ページより

 

ブクログ感想

いやほんとマジで「家事労働」の軽視から始まり、働くことばかりを推し進める労働 vs 働かざるを得ない環境 vs ケア労働への公的支出が少ない行政 この三つ巴ていうか他様々の要因が乱闘している昨今を詳細に書き表してくださってありがとうございますという気持ち。
実際に自分がWMをドロップアウトしたのも当時の上司による「家事労働ハラスメント」であったと得心が行き、「私がもっと強ければ」と泣いた日々の自分を慰めに行きたい。

 

ブクログには読み終わってすぐの感想を書いてきました。

 

じっくり感想

今再び感想を述べるとなると「『一般的な仕事(9時~18時+残業)をしていると人間らしい生活が送れないが、人間らしい生活を送るために仕事時間を減らしたら労働者として排除される』のが普通になってしまっている労働環境ってマジで最悪だな」ということを申し述べたい。マジで最悪、とかもうちょうい言葉を選べよと自分でも思いますが、言葉を選ぶ思いやりすら枯れ果ててしまった、というのが率直な気持ち。

私も以前はフルタイム就労をしておりまして、子どもが生まれる前は朝は資格試験勉強昼はフルタイム労働夜も資格試験勉強、みたいな暮らしを厭わずにいました。当時はDINKsのそういうライフスタイルが好きでした。

でも子どもを持ち「おうちって良いなぁ」とほのぼのした気持ちを取り戻し、一方で仕事も変わらず愛しておりましたが、子どものケアも自分の人生にあるということで仕事の割合をセーブしようとしたら一気に労働の方から嫌われてしまいました。あのときの上司はマジでクソだと今でも思います。(思いやりが枯渇した言い回し)

 

子どもにどんな夕飯を支度しようか、という無償労働のことも考えねばならない人と、夕飯メニューを考える必要のない人だったら、それは後者の方が有償労働をする時間は増えますし、労働市場においては後者の方が高価値でしょう。

でも高価値な人の一馬力で生活のすべてをまかなうことのできる家庭はずいぶんすくなくなりました。

かつて多くいたのであろう「暇な専業主婦」はもういません。女性とて働きに出なければ生活がままならないのに、保育教育への公的支出が少なく、日中の子どもの保育を担う保育園は足りず、教員は疲弊し学校教育の質も下がり、それなのに学歴主義は幅を利かせて大学までは出てないと~みたいな圧力もあり、全世代で八方ふさがりになっている今の日本が忌々しい。

それらの情報が端的にまとまっており、一方で具体例として市井の人たちも登場するので、肌感覚としての「家事労働ハラスメント」が実感できる一冊でした。

 

個人的にこの新書を読んで救われたのが、子どもを預ける先もなく、いざ預けても通勤時間の関係で時短勤務になり職場にも保育所にも頭を下げ続けた日々に疲れ、仕事にも申し訳ない、家族にも申し訳ない、もっと自分が優秀で、いろいろなものを取り廻せたら、とすべての困難を自分の弱さゆえだと思い、泣きたくなるのをこらえていた(たまに実際泣いていた)過去の自分は、ただこの「人間らしい生活時間をも認めない『家事労働ハラスメント』」の被害者であった、と分かったことです。

 

分かったからといって「打倒!家事労働ハラスメント!!」と旅に出るわけでもないのですが、どうかどうか、これ以上家事労働の大事さを思わない物事により涙する人が出ないように、家事労働の大事さや尊さを伝え、賃労働とのバランスやコンビネーションを提案していく立場でいよう、と思います。

 

また読書によって自分の見識が改まりました。良い読書でした。