10年来の愛機、CX4が壊れまして、原因は子どもがいじったことによる落下。あぁ。
生産終了品だし、RICOHでの修理対象も外れてしまっていました。ということは非公式のカメラ屋さんでの修理。直るんでしょうけど、とにかくは壊れてしまった。
壊れてしまった、ということが悲しい。
コンデジやのにこのマクロの効きが良いところ、草木を撮りたい自分にはベストスペックだったのですよ。
子どもがモノを壊すこと、ままあることです。
いちいち悲しんでいたらしょうがないし、何より触られたくないものは手に届く範囲に置かなければよい。
パッと使いたくて、見えるところに出していたのが災いしました。
以下、子ども4歳との会話。
私ね、悲しいんだよ。大事にしてたカメラがもう使えなくなっちゃった。
「そうなんだ」
○○ちゃんは、大事なものがなくなったらどう思うかな。
「かなしい」
私は今そんな気持ちなんだ。ごめんね、しばらくひとりにさせて。
「ごめんなさい。もうしない」
もうしない、って言っても、もうモノはないんだよ。
もうモノはない、その現実そのままを受け止めて、無くなったモノはしょうがない。
私は目先の悲しさに浸って、事実を見ないままにしてしまっていました。
大事なのはこれから。
自分のこれから。子どものこれから。
カメラ自体は修理に出すか、新しいものを買うか、スマホで十分とするか、これからを考えればいい。
子どもがどうか、「モノを大事に扱う」「ひとの大事なものは特に大事に扱う」「ひとの大事なものを尊重する」そのことを胸に入れ込んでくれたら、それでお仕舞いでいいや、と。
ひとつのデジカメが壊れて「これから、」が始まった。
そんなありふれた休日のお話しでした。