#九州で女性として生きること の単純なカウンターが #九州で男性として生きること かと思っていました。
結論から言うと対極の概念ではないようです。
GWの前半を夫の実家で過ごして見えてきた景色。
男の上には男がいる
まぁ大人だけの暮らしの日常に年に二回三回くらいしか来ない孫が来れば、多少は混乱がありまして、2時間の山道ドライブも休憩なしで突っ走ってしまうでしょう。しかし小さい子がいるときは出来たら1時間ごとに休憩を入れてほしい、、、しかしそれが聞き入れられず理解されず、ちょっと困ってしまいました。何より子どもたちがしんどい。
次男殿たる夫殿を見てて分かったんだが、今回件は明らかに義父のアウトなのに義母にしか要望(側から見れば文句)を言わないのね#九州で女性として生きること の単純なカウンターが #九州で男性として生きること ではないってのが伺えた
— 𝕋𝕒𝕜𝕒𝕖🫧プリキュア済 (@tk_e) 2019年4月28日
ここで意見できる人材は夫だけなのですが、夫も義父には強く言えない様子で義母にだけ何ぞと言っています。だからって何の落ち度もない義母に何か言ったところで何の解決にもならんだろうに。彼の中の力関係で行くと義父は絶対王者のようです。
この構図としては「男の敵は男???」とヒネた目で見てもいいんでしょうけど、夫(次男坊)の中で義父は超えられない存在なのでしょう。
そして、その次男坊が強く出れるのは女性である義母、と。
この構図、見飽きた。
一旦負けても勝つのが男性
このような男女の序列を思うときに思い出すのが、「お前は強かね」と親戚連中から言われた過去。なお「強かね」とは九州地方の方言で「強いですね」という意味です。一見自分の能力・才能や学力に感嘆したものと思っていい気になるのですが、これ、結局私は負けています。
「おなごは強かね」の後ろ
「おなごは強かねー!」とかいう男性は大抵女子の強さを認め同等と見做すわけでもなく、単なる「ばってん、おいのが上やけどな」というポジションからのテンプレート表現なので、真に受けてはならんぞと15年前の私に言いに行きたい
— 𝕋𝕒𝕜𝕒𝕖🫧プリキュア済 (@tk_e) 2019年4月28日
思い出すに、男性から女子に向かう評価は男性優位の前提から発するもので、前提からして男性は上の存在であって、評価してやるぞという上から下への「ありがたいお言葉」なわけでして、そうやって持ち上げておいても女性は男性に並ぶわけではありません。そして、
決まって年長の女性に叱られる。
「あんた、いい気になったらいかんよ」
よく言われたものです。女の敵は女、とも思えるこの釘を刺す行為なのですが、これはある種のアドバイスでして。なぜなら、
男性と対等に並べば、その上の存在に挫かれる。
ある男性と対等に並べば、その上の存在と対峙して、どうしても敵わない権力に挫かれます。
田畑に入らせない、志望した職種には反対される、結婚披露宴の日にちも変更される、など。
一昔前の話しと信じたいのですが、事実としてあったことです。
そうやって挫かれることを分かっている年長の女性が、処世術として「あんたは一歩、下がっときんさい」と教える。それが優しい魔女がかける呪いのひとつ。
「強かね〜!」と笑った男はどちらにせよ勝つんです。
そして私は、ここにいる限り負け続けるのです。

ここでその結局負ける試合に反発するものは九州を出ます。私です。
素直に従う、従える、受け入れられるひとは九州で生きていきます。
地元を離れて20年が過ぎようとしている今になって、それなりに幸せに暮らしていて、こういった #九州で女性として生きること を考え、やはり私は九州を出て良かったな、と思うのみです。
もしかしたら九州で今なおこの様な因習にとらわれて苦しんでいるひとがいるのなら、その苦しみの解がここにあるのかもしれません。
何より、こう書き連ねることは地元disなわけではなくて、とんこつラーメンも好きだし、かしわうどんも好きだし、吉野ケ里公園にも行きたいし、陶器市だって見に行きたい、恋しい地元なんです。
恋しいからこそ、ひとつの苦しみもあってほしくない、そういう思いをここに綴っています。