ちょっとしたアウトドアイベントがありまして、子どものお弁当を詰めていて考えたことです。
さて何にしようかな。子どもが好きな食べ物を作って詰めて、開いたときにパァっと顔が明るくなるような、楽しいお弁当を作りたい。
作っているうちにこちらもワクワクしてきてしまうんですね。キャラ弁デコ弁の気持ちがわかる。。凝りだしたら止まらないぞコレ。
しかしながら、しかしながら、毎日毎日の作業となれば修行と化します。
食材調達から献立作りから実際の調理、おにぎりは握りたてが美味しいから朝五時起きでの作業も已む無し、、
出来るだけ省力化できるところは省力化して、だけども「美味しく食べてくれるかな」のワクワクは残り、お弁当箱のフタを閉めたあとは「美味しく食べて欲しいな」の祈りがキッチンに漂う。
そうか、子どものためのことって、祈りが大半だ。
祈りなら強制されるもんでもないわな。
私が「家事のしすぎ」やらお名前つけ曼荼羅に反発する理由が読み解けました。
子どものために親がすることは、祈り。
祈ることは他人に強制されてやることではないでしょう。だから反発してしまうのか。
「え?私、どんな辛い修行でも修めてるよ?祈ってるよ?」と言うひとにイラつくのは、「あなたはその宗派を信じてるからでしょ」という宗教戦争なのではなかろうか。
はーん、なるほど。宗教なら仕方ないわ。
ともあれお弁当を楽しく食べられれば、今日のところはAll rightです。
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