ほぼ黒ワンピース生活

ほぼ毎日黒のワンピースを着ています。考えたことなどあれこれと。

「ハンドメイドでもして稼いできてよ」

「ハンドメイドでもして稼いできてよ」

配偶者に言われました。すごく色々の思いが湧いて止まらないので書く。

ことの始まりは年末恒例になった各人の預金口座等の残高調べ。

結婚前の保有資産などもまだあれど、やはり私が働けなくなったのは痛い。私のキャッシュが減る一方で、自分で情報を取りまとめていてもため息しか出なかったし、何より夫に「減ってるね」とコメントもろたのも更にため息を深めた。

今年は個人事業もそこそこうまくいった方で、ブログも安定的な数字を得るようになった。それで満足していたけれど、やはりキャッシュを考えるとまだまだ。

お勤めに出れたらいいのにな、とキャッシュの減り方を見て思う。

 

そしてここで爆弾投下。

「年始に入金する子どもたちのジュニアNISAは、たかえの口座から払って」

と夫。

え、先刻減るばっかりってことは確認したところだよね?共通認識として「減ってる」て分かってたはずだよね?でもなんで私の方にボールがくるの

 

ジュニアNISAは一人当たり年間80万円までの買い付け。姉妹二人分なので160万円が必要。

今年の個人事業の売上高がやっと80万だったので、更に倍の160万円なんて用意できるはずもない。残りの預貯金は私の生活防衛費と思ってるから、キープしたいのだけど、というか

 

「現状働きに出られないのに、どうやって払えっていうの」

 

こころの声が外に漏れてしまった。返ってきた言葉に更に仰天する。

 

「編みぐるみでも作って売ったら」

 

ほう。

ハンドメイドでもして稼いできてよ、とな。

 

ほうほう。

 

がっかりだよ、君には。

 

 

まず言いたいのが、売りに出すレベルのハンドメイドがどのレベルというのは、私がちまちまと娘たちのリクエストに対応して作るのとは全然違うということ。

利益が出るほど仕事になっている人たちはすべて、技術を磨いて、商材を研究して、お客様の好みやトレンドを察知して、SNSでPRして、オンオフどちらのハンドメイドマーケットにも出店して、ラッピングして、ディスプレイして、適正価格で取引して、「お客様」からの「お声」にも耳を傾けて。なお「お声」にはむちゃくちゃな要望もあるし、「お客様」とて神様もいれば魔物もいる世界。

好きだから、得意だからで始まるものであっても、作家業を始めたその先には膨大で甚大な努力が必要。それらが整ってやっと「ハンドメイドで稼ぐ」ができるというのに。

 

私はハンドメイド作家さんのファンでもあることから、製作や営業の上で心労が重なり、心身にも影響が出てしまった作家さんのことも知っている。

「腱鞘炎の休養のため、次回のマルシェは出店しません。楽しみにしてくださった方に申し訳ありません」

「体調不良のため作家活動をお休みします。オーダー再開の際にはまたお知らせします」

そのアナウンスの前に、どれだけの葛藤があったことか。

 

(製作がつらい、今は休むべきか。でも作りたい。お客様も待っている。しかし身体がもたない。このイベントまでは、この作品まではやろう。頑張ろう。いや、でも、もう無理だ)

 

そんな声がにじみ出すかのようなInstagramのポストに、胸が締め付けられる。

 

作ることの楽しさや、しんどさ、自分の作品を待っているお客様がいるからこそ妥協できないプレッシャー。厳しい世界だ。

心を癒す作品の向こう側には、作家さんの努力や工夫がある。厳しい世界だ。

 

それを「編みぐるみでも」とか言われた日には怒りを通り越して呆れしかなかった。

 

私が大好きなハンドメイドが、作家さんたちの偉大な仕事が、夫の一言で毀損された。

 

夫の発言は、私はめちゃくちゃに怒って罵倒してもいいレベルの問題発言だと思う。と思う、どころでなく問題発言だ。

遺憾の意。

でも今は「丁寧に説明を尽くしていく」令和だから私もそうしていきたい。心の奥底では罵倒しているとしても、それを一切見せないテクニックも併せて駆使しよう。

 

子どもたちの手が冷たいとなったら「ハンドウォーマーを編んであげよう」と、お耳が寒いとなったらニット帽を編もう、と。私のハンドメイドはただ子どもたちのものであって、販売できるものにするにはまた別の努力や研鑽を積まねばならない。私はその努力や研鑽が如何ばかりかを推して知る。だからこそ手を出さないというのに。

 

「ハンドメイドでもして稼いできてよ」

 

へぇ、そう思うんだ。

価値観を共有できない人間との共同生活は疲れるね。