ほぼ黒ワンピース生活

ほぼ毎日黒のワンピースを着ています。考えたことなどあれこれと。

出来なくてもやったの。出来なくても、やるの。

ぼんやりとしたつぶやき。



 

ちりちりと思い出される、ひりひりした毎日のこと。

嵐のように支度して、嵐のように保育園に送って、満員電車に乗って、嵐のように仕事して、16時30分のアラームを聞き退勤して、コンビニでパンを買い、駅まで歩く道すがらに口に押し込んで、電車に乗って帰りお迎えに行った日々。

また具合が悪そうだ。夫はまた「俺休めないよ」と言うだろう。私は仕事を前倒しして、仕事が溢れないように深夜に作業して。それでも上司には渋い顔をされて。

 

「出来る限りやってますが」の言葉を聞く度に思う。

「私は出来なくてもやったの」

 

無理を押してやりきった。子どもになるべく無理させたくなくて、ほとんどの無理は自分で吸収してきた。保育園のお迎え時間に間に合うように時短勤務にした。減給も降格も覚悟で。どんなに疲れていても、自分の体調が思わしくなくても、急いでお迎えに行った。

来週ばかりはお迎えを代わってほしいと頼んでも「出来たらやる」ということで、ああそれはもう無理なんだね、と、これまた自分の中に無理を押し込めた。会いたい人にも会えず、やりたい勉強も手放した。

代わってほしいと頼んでも、また前日に「無理」と言われるだろうから。

 

そのうち何もやりたいことがなくなって、今はもう何も、成し遂げたいことがない。

 

育児をもっとシェアすることが出来ていたなら、こんなにも空虚な自分に出会うことはなかっただろうなと思う。たらればだし、過去の細かいことの積み重ねだから、今更悔いても仕方がないけど。

女に生まれた時点で負けなんだ、この世代はみんな負けだ。はいはい、負けました負けました。

 

世の中の「女性活躍!」を謳う人たちには、かつて「優秀な女性」とはやし立てられた私がこんなにも無気力になっていることをどう見るだろうか。

私の努力が足りなかったから、と見るのか、パートナーガチャ外れ、と見るか。どう見られても、私にはもう何も、正社員の仕事も昇級も昇給も、帰ってきませんけども。

 

無力感があっても子どもに泣き顔は見せたくなくて、子どもとともに見る世界を楽しみたいと思うようになった。そうしたらまた、過干渉だの甘やかしだの言われるんだろう。一歩引いたらとがめられ、一歩進めばとがめられ。やりづらいったらない。

 

それでも、これからも出来なくてもやるんだろうと思う。子どものため、自分のため。無理をできるだけ避けながら、無理が出たなら道理を少し、自分の中に引っ込めて、ぎゅうぎゅう音が聞こえてくる。自分の中に押し込めた無理が暴れそうになる。

 

それでも、出来なくてもやってきた。

だからこれからも、出来なくてもやるの。