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読みました|専業目線で読む「なぜ共働きも専業もしんどいのか」

Kindleで読みました。「なぜ共働きも専業もしんどいのか」中野円佳

上中下三部作の中です。専業主婦の目線で読んだ感想です。

 

なぜ共働きも専業もしんどいのか 主婦がいないと回らない構造 (PHP新書)

 

今回の読書感想はkindleにつけたブックマークのフレーズから;

 

 

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「アイデンティティを失い透明人間になってしまったような感覚」

個人的なことですが、先日無職になりまして、まさに「仕事をする自分」がいなくなりました。これまでの学びやこの先の興味関心を存分に活かせる場所で、どうしてもなくしたくないポジションであっただけに落ち込みが深く、ため息をついては「あぁ、仕事をしていた自分はもういないんだな」と思うのでした。

そういったわけで、「なぜ共働きも専業もしんどいのか 主婦がいないと回らない構造 (PHP新書)」第二部「主婦がいないと回らない構造」は我が身の落ち込みの原因を探るに最適な論考でした。

仕事はひとつのアイデンティティでした。そのひとつが失われただけなんですが、生活の基本たるアイデンティティはインフラ化しており色のない状態であるから、生活に色合いを持たせていた「仕事」がなくなっただけでまさに「自分が透明人間になってしまったような感覚」に陥るということが、実体験として我が身に降り掛かったのでした。

「知的な刺激のない生活で孤独に陥る」

そう、これもひとつ。

仕事(賃労働)をしているときはとにかく外部から内部から刺激があります。知的な刺激は仕事の喜びにもつながり、とても良いものなのですが、家内専業化したら、途端にそういった外部刺激はほとんど受けられず、内部からの刺激も相当頑張らないと出てきません。(太字にしちゃうほど強調したいことなのです)

日常を回すことに精一杯なので、本を読むにもまとまった時間を作らないといけない。子育て中ならば時間は子どものためのことをするために使いたいので、端的に言って母親の、母親による、母親のための完全フリータイムなどないのでした。

刺激がない、ということは平坦にすぎる毎日。

働きに出ているパートナーには外部刺激もずんずん刺さっていてアクティブな毎日があり、自分にはそういったものがない。

その肌感覚の差はパートナーとの意識分断を生じさせ、それは孤独感につながります。

 

ていうことです。。すごいわかる、、すごい、分かる。。。

「高学歴でアイデンティティ・クライシスを激しく経験した人ほど反動としての家事・育児への傾倒を生む可能性もある」

アイデンティティ・クライシスを癒やすのも自分しかいない、というのもいち家庭における各種クライシスの難しいところです。

孤独感を癒やすために家事や育児に注力して、そしてその注力を褒めてほしいと思う。家内専業者の日々の家事育児は、仕事に置き換えれば「成果」なので、何らかの評価が欲しいのは自明です。

そして「褒めてほしい」の気持ちはSNSとの親和性が強いのもひとつ。

SNSで発信するコンテンツは自由なので、家事育児の様子をも発信でき、時間をいっぱいかけてぴかぴかに整えた家の様子、手の込んだディナー、可愛くデコったお弁当、それらをupしていいね♡をたくさんもらって、孤独に苛まれる精神は救われ、充足されるわけです。

そのあたりのSNSと専業主婦の充足とさらなる孤独はこちらにも著されていました。

 

「家事のしすぎ」が日本を滅ぼす (光文社新書)

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しかしここもハマりすぎると劣等感や苛立ちといった負の感情が芽生えだします。

孤独を癒やしたくてコミュニティに入ったのに、余計に孤独をつのらせ、負の感情を増幅させてしまう。しんど。

「自己責任論の末、『自分で選んだんだから』の自己暗示は、専業主婦でないと回らないシステムを強化する可能性がある」

仕事を辞めたこと、仕事をしないことは自分の選択であるから、「うまくいかなさ」に対する葛藤は、我慢するなり、見過ごすなり、自分ひとりでうまいところ対処せよ、だって『自分で選んだんだから』となるのは道理です。他者に解決を求めることは無理に近い。

仕事と家事と育児の均衡が取れずにやむなく離職するのは、社会の要望と実際の仕組みに歪みが生じているということへの解決であったりするのですが、それらの歪みが複雑に過ぎて、自分の選択の結果であると短絡化するほうが楽なのです。

そして自己責任論となって我が身へのプレッシャーとなり返ってくる。しんど。

そのプレッシャーを逃がす手段は「仕事を辞めて家にいることを決めたのは自分だから、家のことと子どものことは自分がしっかりやらないと」と頑張りすぎることです。

頑張りすぎると「かく在らねば」という像が確たるものになっていき、家事育児のハードルが上がり続けます。それが専業主婦前提社会を強化する一因ともなってしまうのでした。

「『夫に嫌われたら終わりなんだ』という事実は自分を驚愕させた」

翻って家の中はどうか。

家計の担い手は夫というパートナーとなり、住む家を維持するにも、食料品を買うにも必要な「お金」を稼いでくる人が優位な立場になり、自分はその人の生活を支え、家事育児に専従する人、という印象になってしまい、どうしてもの従属関係が生じてしまいます。

主従の関係ができると、主の方は良くても、問題は従の方。

もともと主にもなり得る、つまりは稼いでこれる自分だったのが、勤め先が無くなった途端に従属の人となる…このアイデンティティクライシスの深さよ。

 

ただ仕事から離れただけで、途端に透明人間になってしまい、喪失の哀しみを癒やすにも新たな壁を作り出してしまい、家族から嫌われたらおしまいだ、という危機感。なかなかのハードモードな毎日です。誰ですか三食昼寝付きとかいうひとは。

こういった生活に適当な落とし所を見つけるまでは、あっちに行っては物足りず、こっちに行ってはしんどい。そういった「うまくいかなさ」を感じ続けることになります。しんど。

さらにつづく。

今回ご紹介の書籍

中野円佳氏のファンのみならず、昨今の労働問題に関心のある方におすすめです。

なぜ共働きも専業もしんどいのか 主婦がいないと回らない構造 (PHP新書)

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