ほぼ黒ワンピース生活

ほぼ毎日黒のワンピースを着ています。考えたことなどあれこれと。

#九州で女性として生きること 呪いが解けた一族のこと

去年の夏の終わりに考えたことを。

#九州で女性として生きること および #九州の男尊女卑 にタイムラインをお騒がせした夏が過ぎ去ったことで、少し思い出した大叔父の話しです。

呪いは解かれつつある

ジェンダーロール、ジェンダーギャップが認識され、それらを是正していこうという世の中にあって、九州に見られる男尊女卑の姿はなくすべきものなのでしょう。

有働アナとイノッチの後を継いでNHKあさイチの司会になった華丸大吉も、料理コーナーでエプロンを着けるようになりました。初期ではエプロンをつけずに料理人やアシスタントのアナウンサーを見ていただけだったと記憶していますが、しばらくして見始めるとエプロンをつけた華丸。九州男児の代名詞の一つである「男子厨房に入らず」それももう過去のものになった、と感じました。

呪いが解けたお宅の話し

この手の話題になって思い出すのは、父方の祖母の実家で起こったことです。

父方の祖母の実家は、地域では有名な実業家一家で、その大本を締めていたのは教職にあった大叔父でした。農家から始まり教職員となり、子どもや孫は建築家や歯科医、学校法人の経営など、「この家に賛同していればその地域では安泰」なファミリーを形成していました。そして盆正月の寄り合いでは昔ながらの風景です。

大叔父が上座にどんと座って周りを固める甥たちの酌を受ける宴会。酒が飲める男性陣はたいそう愉快に過ごしていましたが、準備から何からあくせく働き続ける女衆は台所に溜まってなんやかんやの噂話をつまみに食事。子どもたちは雑多に遊び、たまに男衆に呼ばれていじられからかわれ、それ以外は適当にほって置かれてつまらない時間。

特に印象的なのがお年玉配りで、大叔父がひと声かけて子どもたちを一列に並ばせ、うやうやしくお年玉の入ったぽち袋を子どもたちに渡していきます。一律1000円。大叔父以外の大人が子どもたちにお年玉をあげることはありませんでした。何らかの協定が大叔父によって作られた様子で、この行列からも「大叔父は偉い」「大叔父はすごい」の雰囲気が幼心に刷り込まれていったものです。

クーデターが起こった

ある年の正月、私には経緯が分からないのですが、明らかに空気が変わっていました。大叔父が言い込められています。

「女は畑に入るなといったのはお父さんじゃないですか。私がどれだけやりたいと言っても何もさせてくれなかった。それなのに今更」

「俺たちがこうしようと言っても聞き入れなかった。誰々がここに来なくなったのはそのせいもある。自分たちは自分たちでやることを決める」

周りの大人の怒りの意味はわかりませんでした。が、それまで大きく見えていた大叔父が、仏壇の前で小さくなっていく様だけが印象に残っています。次の寄り合いは大叔父の家の座敷ではなく、その一軒隣の大叔父の三男さんの家で賑やかに行われました。

残ったもの

今まで何が起こっていて、そのとき何があって、そしてどうなったのか、私にはわかりません。しかし、盆正月といえど大叔父の家に入る人はめっきりいなくなり、30人40人とその場にいた親族は、3人4人と明らかに減っていました。

それまで施設にいらした大叔父の奥様の終末医療にと、家の一角をリフォームして整えられた介護室だけが優しく明るく光りに包まれていて、大賑わいだった座敷は、どこかほの暗くなっていきました。

そのうち私も東京の大学からそのまま上の大学院に進み、盆正月と帰らない数年を過ごして後、大叔父が亡くなったと母から聞かされました。葬式に参列しないでよいか、と聞くにも「来なくていい」との返答。帰省のタイミングでお線香を上げに行けばよか、と大叔父の死は余りにも軽く空にとけていきました。

 

 

「お線香をあげに」と帰省の折に親に言い、年単位ぶりに大叔父の家を訪れることになりました。行った先は植栽も刈り取られ、荒れるままにされた家でした。聞けば、大叔父の位牌を預かる人も決まっていないということでした。あんなにも多くの人に囲まれていた大叔父が、位牌になってなお誰もそばにいないのは何故。

何が大叔父の周りから人を遠ざけてしまったのか。

みな、分かっていますが、わかっていると認めません。

 

親の運転する車の後部座席で、九州特有の照葉樹林のきらめきに眩しさを感じながら、ぼぅっと考えていました。人生。家族。

 

ただただ、みな前時代の価値観を捨てたかったのです。前時代の価値観を捨て、家に囚われず、自由に生きたいと願った。その結果、その象徴たる大叔父が捨てられた。事実としては、ひとりの男性が天寿を全うしただけなのですが、私には一つの価値観が消え失せたようにも思えました。

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みな空に還る。

 

 

これから先の未来はどうなるのか。あんなにも家族から疎まれ孤独になった大叔父も、何かのはずみで「偉い人だった」と偉人に祭り上げられるかもしれないし、反対に、今から新しい時代の価値観で生きる!と息巻く私たちが、私たちよりも若い人たちに追い抜かれて後ろ足で泥を掛けられるのかもしれない。誰にも分からないし、そして知る由もない。

 

ただ、大叔父に「さようなら」を。

 

日本のいち地方に根付く旧態然の文化が消えていく、偶然にもその潮目の中にいた私自身の思い出を、ここに置いていきます。