ほぼ黒ワンピース生活

ほぼ毎日黒のワンピースを着ています。考えたことなどあれこれと。

秋の空が澄みすぎていて

ただ墓参りに行った、というだけなのですけど、涙があふれて止まらなくて書く。

 

佐賀インターナショナルバルーンフェスタが始まりました、というニュースを聞き、あの景色にまた会えるなら行こうかなと思った。娘たちにも佐賀平野の上に広がる大きな空に、カラフルなバルーンが浮かぶ景色を見せたかった。

一方で「祖母の墓参りに行きたい」とも思っていて、それも叶えるには明日しかないな。そう思って子どもたちの礼服を出し、自分の準礼服と数珠も出し、祖父母のお墓のあるお寺の住所を調べた。車で1時間ちょい。埼玉に住んでいるときには思い立ったら墓参り、ということが出来なかった分、ずいぶん気軽に行ける距離にこれたと思った。

 

秋晴れの中ドライブした。

懐かしい景色をいくつも目にした。

この先には嘉瀬川がある。バルーンが係留されている。飛んでいるバルーンも見れるかも。小学生のときさながらのわくわくが私の胸に灯っていた。

 

*

祖父母の墓参は、祖母が亡くなってから初めてのことだった。

 

祖母は一昨年の冬に亡くなった、と私が聞いたのは、やっと昨年末のことだった。

コロナ禍の最中で、遠方に住みかつ小さい子を抱えた私に配慮してか、母はごく近親者のみで小さくお葬式をあげたのだという。実家に近居している姉も知らないくらいにひっそり。

母が何故、祖母の死をささやかに、すみやかに見送ったのかは本人に聞かないと分からないけれど、勝手に想像するに、母も疲れていたんだろう。祖母の死を外に知らせる元気もなかったんだと思う。

長く入院していた祖母の着替えを洗濯して届けていたのは母だった。車で1時間の距離を週に何度か。傍らには認知症の始まった父がいた。ダブルケアの毎日だったんだろう。

自分の母親の死を見送る時間も取れないくらい、父の状態も悪く、それでも父をケア施設に頼ることはできなくて、そして何よりコロナで誰も彼も頼れなくて。

 

「何で教えてくれなかったの!」と母にきつく当たる選択肢だって私にはあった。私にとっても大事なおばあちゃんだ。だけど、もう全ての可能性に思いが回るから言わない。

母も大変だったんだ。

思い思った先には「頼りない娘でごめんなさい」とむしろこちらが謝らなければならない。

 

*

お寺についた。

こんなとこだったっけ、と久しぶりに履いたパンプスで草道を歩き、ざくざく、と進むにつれ、こんなところだったな、と記憶の糸が繋がっていった。

母方の祖父母宅の家紋はとてもカッコいいのでよく覚えている。花剣菱を探して、あった。ここに祖父母が眠っている。のかな?

〇〇の孫です、とお寺の方に声を掛けてお墓を改めて探し、その探すお寺の方の後ろを娘たちがついて回り、お寺の方とくすくす笑いながら歩いた。こちらですね、と古い墓石をご案内いただいた。

「お茶でも召し上がってくださいね」とお寺の方にお声かけいただいて、墓に手を合わせた。

 

やっと会いに来れました。随分時間がかかってしまいごめんなさい。元気で過ごしていました。ありがとうございます

 

 

次に、ご本堂とご位牌所に案内いただく。

位牌はもう家になく、お寺の位牌所に納められていた。家には伯父が住んでいるけど、70を超えて今も専門的な仕事に就いていて朝も夜も忙しい。仏壇の世話も見れないんだろう、とまた思いがめぐる。

でもお位牌を見てとても嬉しくなった。祖父と祖母がまた並んでいる。

 

祖父が亡くなったのは私が中学3年の秋で、列席したお葬式で戒名についてお坊さんが説明してくださり、祖父はとても信心深い、月のように物静かな人であられた、なので月の字を戒名に入れさせていただきました、とおっしゃっていた。戒名を覚えてしまうのも何か変だなと思いつつ、私は祖父のことが好きなんだからどんな形のものでも覚えていようと思った。おかげでまたお位牌をみて幸せな気分になれる、という得をした。

 

お茶を頂きながらお話しをした。

「今日いらしたのは?」

秋になると祖父のことを思い出すものでして。あとはバルーンフェスタもあってますし、子どもたちに見せたいなと思って。

「そうでしたね、おじい様が亡くなったのは秋でしたね」

祖母の墓参りもしておりませんでしたので

「お葬式も早くにあげられましたものね」

 

たいへんな時期の母を支えられなかったこと、祖母にお別れを言うのが今日になってしまったこと、母も思いがあって私に知らせなかったんだろうこと、あれこれ呟くうちにボロボロと泣いてしまい、

隣でお茶菓子に頂いた丸ぼうろを食べる子どもたちも唖然と。

 

泣く私にまたお寺の方が優しく、

「今日みんなで来ていただいて、お二人もお喜びと思いますよ」

 

ですよね~~~~ぇぇぇぇ、とまたボロボロと。

ちょうどハンカチを車に置き忘れてしまい手で涙をぬぐうばかり。ボロボロボロボロ

 

ここのところ自分自身の疲れもあったし、昨年の引っ越し以来のうっすらとしたなぜか消えない疲れもあって、もうここはボロボロボロボロ泣くことで感情を整理したいところだった。泣ける映画を見てボロボロって言うてもあったけど、やはり家族のことを思ってボロボロボロボロ泣くのは感情の整理になった。効果絶大。でもやっぱりハンカチが手元にないの痛いボロボロボロボロ

 

お茶とお茶菓子のお礼を言いお寺の方に挨拶をし、また参らせていただきます、と再訪を約束し、お寺の門をくぐり、また佐賀の広い広い空の下に出た。

 

秋の空が澄みすぎていて、時間の流れすら自由だ。昔のことも今あることのように思えるし、未来への思いも湧いて出る。

 

おじいちゃんが大好きだった。おじいちゃんと過ごす土日が好きだった。

おじいちゃんのことが大好きなおばあちゃんのことも好きだった。今日、ちゃんとお別れが言えて良かった。

これからは、もっとお母さんに寄り添って暮らすよ。何の悔いもないように。