10日ほど前にしたツイートが石井マークさんにRT頂きました。そのツイートをしたときに140字で書けなかったことをここに。
「いろんな人がいる」の中にはただただ子ども嫌いな人もいれば、音に過大なストレスを感じる人もいるし、飛行機の中でパチパチキーボードを叩きたい人もいるし音楽を聴きたい人もいるし小説を読みたい人もいるし、とにかくはいろんな属性の人がそれぞれ少しの配慮が必要なんではっておもうんだよ
— たかえさんは色々ブログを書いています (@tk_e) November 11, 2019
「飛行機に乗る。子どもと一緒に」
前段だけなら「小説でも読むか」「お気に入りの曲DLしとこ」となるところ、後段になるととたんに世界が変わる。
子ども、食べてるか寝てるか騒いでるか叫んでるか走ってるかの存在。
子育てをしていない人にとっては、騒いでる叫んでるは迷惑でしか無いわけで、「迷惑でしか無い」のならその子の親は「すみません💦」とペコペコしていないと「なんて非常識な親だ。これだから若いもんは」と批判が始まる。
とにかく子を連れた親は道を歩いていてもペコペコ謝ることが「親の努め」になってしまっている。
新しい発見があれば、すぐに手に取り匂いをかぎその音を聞きたい、その子どもの衝動を如何に交通ルールに沿わせ、子どもの命を守るか、そこに精一杯になりたいところに「世間の目」にもうまいところ対応しないといけない。謝る、感謝する、他いろいろ。
それが飛行機に乗るとなると、移動の時間が増えるにつれ「親の努め」の時間も増える。バスのりばや最寄り駅まで歩き、空港バスや電車に乗り、空港に到着し手荷物検査を終えたら搭乗し、さぁ飛行機に乗るぞ、と。
子どもを連れていたら、どこででも緊張している。
子どもが迷子にならないか。子どもの足が止まらないか。時間通りに出発ロビーに行けるか。子どものおむつはキレイに保てるか。子どもの機嫌は保てるか。
何より、周りの方の迷惑にならないか。
そしてどこででも配慮をして、配慮を頂く
もちろん緊張をほぐしてくださる人やサービスもある。
子どもたちに笑顔を向け、私達をねぎらってくれる方もいるし、2歳以下の子どもを連れていたら優先搭乗もある。Special Assistantもとても助かる。CAさんもよく声をかけてくださる。
#子連れ飛行機 #子連れ中されて嬉しかったこと
— たかえさんは色々ブログを書いています (@tk_e) October 14, 2018
0歳抱っこで3歳が飛行機に乗って座席についた途端に「おといれ」
「今かよー!?」思いつつ機内のトイレに行こうとしたらCAさんが「お手伝いします。お姉ちゃん行こうね〜」と連れ出してくれて、無事済ませて帰ってきた
CAさんありがとうございました
それくらいの手助けを得てやっと、やっと飛行機の旅を完遂できる。私たちは助けられないとどこにも行けない。周囲に感謝しながら、周囲に配慮もしながら、飛行機に乗っています。
私に「幼児マーク」が必要な理由
さて本題です。その「配慮」を助けてくれる一つのサービスが「幼児マーク」です。
常々ANAを使っていたこともあって「幼児マーク」はどこの航空会社でもあるものだと思っていたのが一つ。
私が今現在も「幼児マーク」の当事者であることもあるし、幼児マークの届かない範囲で子どもをつれていることについて舌打ちやらキツい当たりをされた経験もあるので(アレは本当に辛かった)、切にお子様がお嫌いな方が避けてくだされば本当に申し訳ないながらも我々は救われるワケです。本当に申し訳なく思っているから、航空会社が幼児マークをつけてくださることに対して感謝が止まないのです。
思考がこんがらがるが故に尊敬語も謙譲語も丁寧語もごっちゃごちゃです。本当にすみません。
子ども、本当にうるさいです。本当にごめんなさい。寛容に受け止めてくださる方にはありがとうございます。お気に触る方、本当に申し訳ありません。
更に「配慮」が必要な方もいるんだ
航空会社の予約画面での幼児マークの話し続けるね
— たかえさんは色々ブログを書いています (@tk_e) November 11, 2019
以前空港バスで聴覚過敏らしくイヤーマフをつけた青年がいて、当時乳児の子あざらしが泣いたら彼は落ち着きがなくなり付き添いの男性に押さえられてた
そういった方への配慮も含めて、予約画面での幼児マークは必要だと思う
私が近くに座ってしまったイヤーマフが必要な青年には「静かな環境」が必要なのに、子連れの私たちがそれに気づかず座ってしまった。配慮が無いがゆえに彼に混乱を引き起こして、帯同者の労力を要した。たぶん帯同者の方は必要な対処を心得ていらっしゃるとはいえ、私達がいなければ静かにすごせたその数分ですら、私達が奪ってしまった。申し訳なく感じる。
これはバスでのはなしだけれども、幼児マークがあれば、もしかしたらその方たちも私達から遠い席をリザーブしたかもしれない。かも知れない、だけども、あったらもっと、きっとお互いに楽だ。
そういう様々の要因が絡んで思うのが、「幼児マーク」の必要性です。
ヘイトなの?
でも、ヘイトを助長するという見方もあると知った。
記事中でおっしゃってることもよく分かる。ヘイトは助長すべきでない。
でも「子連れであること」は「単なる情報」として発信していて欲しい。
聴覚過敏だとかその他発達障害は型にはめられないものだろうし、とにかく静かな環境で小説が読みたいとか、飛行機の中でも仕事を片付けたいとか、そういった細かな情報はあまりに可視化できない。対応できない。
でも「子どもを連れています」それはそれだけで「うるさいかもしれません、すみません」を伝えられる手段だ。
子あざらし2歳の国際線10hは修行だった
— たかえさんは色々ブログを書いています (@tk_e) November 11, 2019
けども隣席の女性は全然気にしてなくて、更には子あざらしにニコニコしてくださって、お礼とお詫びを言うと「保育士をしておりますので」とのこと
ANA機だったからもしかして幼児マークを見て近くをリザーブしてくださったのかも(100%憶測です
静かに過ごしたいからここは外そう、静かでなければ聴覚過敏のうちの子は落ち着けないから外そう、子どものことは好きだから私はここを押さえよう。色々の判断が、子連れマークひとつでできる。
ヘイトだろうとなんだっていい。私の「うるさいかもしれません、すみません」の気持ちを記号にしてくれるんなら。
そういう意味で、私はこれからも「子連れマーク」を必要とします。
「私は子連れマークの近くを予約するよ」
そして、上掲のツイートに対して「私は子連れマークがあったら近くに座るよ」と意見表明された鍵垢さんがいました。「少しの配慮」の表れを知りました。ありがたいことです。
今は子連れマーク当事者だけども、当事者を離れたらそういう関わり方をする。そう決意しました。
だから、マークは続いて欲しい。在り続けて欲しい。
「幼児マーク」が在り続けるその先に、「少しの配慮」の積み重ねがあることを、そのうちすべての人が知ってほしいと、そっと夜中に考えていました。