夜中に考えすぎています。
次女たる私は今姉妹を育てるマミーになったんですが、長女子あざらしの協力なしには次女豆あざらしの後追いをかわすこともできない
— たかえは円満退社する (@tk_e) 2019年4月3日
長女の助けがあってやっと二人の食事の支度が出来るていう状況
結局「お姉ちゃん」に助けられるばかりの人生なんだろうかと
自分自身が二人姉妹の妹でありまして、3つ上の姉には幼少期から助けられっぱなしの人生を歩んできました。
そして今、3歳離れた二人姉妹とともに暮らしていて、3歳の長女がしっかりものなのでついつい0歳の次女を見ていてもらったり(その間は子どもたちが見えるところで家事をしています)、「お姉ちゃん」をさせてしまっています。 「お姉ちゃん」だって、まだ3歳なのに。
もっと家事をサボって子どもたちと触れ合うぞ!と思うのですが、几帳面な自分を充足させるために家事をやりすぎてしまうきらいがあります。
これから先の日本では、自助も公助も求められるものではなく、親の私たちはおそらく彼女たちより先に老いて灰になってしまいます。
私たちがいなくなったその先の人生に、きょうだいがいたら心強いのではないか、と考えて二児をもうけたわけですが、果たしてその選択は、彼女たちにとって良いものであるのか
うまくまとまりません。
次女は今つかまり立ちをしているところで、この夏にも歩き出すことでしょう。長女も同じ時期に歩き出し、近所の公園で外あんよを見守っていた思い出があります。
次女が歩き出し、走り出し、そのとき長女の後を追っていく姿が思い浮かびます。かつての私が姉を追いかけたように。追い越したくても永遠に追い越せない「お姉ちゃん」を追いかけた、自分の思い出が交差します。
人生の最後に思い出す景色は、もしかして今このシーンかもしれないな、と思いながら今日もシャッターを押すのでした。