私の/夜中の考えごと

働き方や子どもとの暮らし:夜中に考えていることを書いています

憧れと諦めの境界線

娘たちが美少女戦士セーラームーンにハマっています。

 

Watch on  Prime Video対象「美少女戦士セーラームーン」シリーズ

 

セーラームーンリアタイ世代の私自身も、美少女戦士セーラームーンのコンテンツは2.5次元に課金した程度にアツいものです。

6s-adviser.hatenadiary.jp

 

美少女戦士セーラームーン、言わずもがなの名作。少女漫画の金字塔。

 

美少女戦士セーラームーン 完全版(1) (なかよしコミックス)

…始まりは1992年…

なかよし派だったひとりの10歳の少女は、その世界の輝きに、ただただ憧れた。

中学生、14歳、東京という街、ステキな恋、それぞれに魅力的な友だち、厚い友情、強い信念、キラキラと輝く、甘酸っぱくて切ないロマンス、

 

その全てがセーラームーンに詰まっていました。

そして、その輝きと憧れは今なお心の中で輝いているのだと、その輝きを糧に、日々を走り抜けているんだと、そう気づきました。

--- 前出ブログ記事より

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前出ブログではこんなユニバースなことを書いておりましたが、いざ娘たちが見ている様子を見ると

「麻布十番の戸建てに住めるわけないよ」

「保護監督者ナシで麻布の高層マンションに一人暮らしできるわけないよ」

と冷めたことを言いそうになってしまいました。

 

何この大人。これが私のなりたかったものなのか。

 

壮麗な世界への憧れが、今や「諦め」になってしまっていました。愕然。

 

セーラームーンの世界への憧れが、いつ諦めになったのかは分かりません。ハイどうも、今日から諦めます!という線引きはなかったのでしょう。本当にいつの間にか、だった。

いつの間にか失っていた憧れ、それと引き換えに手の中にあったものは「諦め」でした。

 

でも諦めの周囲には堅実な暮らしがあった。

夫の仕事を支え、自分の仕事もそこそこやり、子どもたちの成長に寄り添い。

 

それでいいや、と。

それがいいや、と。

 

そう思いながら、セーラームーンになれなかった人の暮らしは進むのですね。