アン・マリー・スローターの「Unfinished Business」(邦題:仕事と家庭は両立できない?)を読了いたしましたって話題の続きです。
仕事と家庭は両立できない? アン=マリー・スローター
仕事と家庭は両立できない? Kindle版 アン=マリー・スローター (著), 篠田真貴子 (著), 関美和 (翻訳)
前半の感想
前半の感想はこちらです。アメリカとて仕事と育児の両立には悩むんですな。
ケア労働≠キャリア断絶
第5章「資産運用は子育てより難しい?」を読み進めるに、どうにも、ケア労働を軽視する風潮が根強いのは日本だけではない様相が分かりました。そこに著者の提言が入ります。
だが、資産運用は本当に子育てよりも難しいのだろうか?
その思い込みに真っ向から挑むのがこの章だ。資産運用の難しさやその価値を低めようというのではない。子育てや介護の価値を高め、それをうまくこなすためにはスキルが必要だという認識を高めることが目的だ。経済用語を使うなら、子育てや介護は、私たちの社会の何より貴重な資産である人的資本への投資なのだ。
書籍118頁より。
「人的資本への投資」
読後感というより、自分の経験談になってしまうことにつきご容赦ください。
「人的資本への投資」、この考え方に触れて自分の中で職場復帰以降、激務部門にいたときの上司への違和感に整理がつきました。
今私は子育ての真っ只中にいて、子育てにおいての理想があります。子どもたちに、自分を大切にし、他者へのいたわりもある心優しいひとに育ってほしい。それを叶えるため、子どもたちに自分と夫で与えられるだけのぬくもりを用意し、腹だけでなく心も満たし、聡明に育つよう適時の導きを与えたい。それらの思いを叶えつつケア労働を遂行するためには賃労働の時間は削らなければならなりませんでした。
「削らなければならなかった」という語につきまとう後ろめたさは生涯忘れることはないと思います。
しかしながら、当時の職場の上司の無理解には辟易しており、私は育児の主担当として家族のバッファで有り続けたい、そう考えて異動の希望を申し伝えました。
「私は、今このときを、人的資本への投資に掛けたいです」
そう言えれば良かったのにな。。
オバマ大統領のスピーチ
第6章 「女性運動の次は男性運動」から特に印象に残ったワードを引用します。
人生の教訓
(前略)
オバマ大統領もまた、こう言っている。
家族をないがしろにしたら、その責任に失敗したら、ほかのすべてに意味がなくなる。私が死の床につくとき、自分が作った法案のことを考えたりしないだろう。自分が進めた政策も考えないだろう。自分が行ったスピーチのことも、ノーベル賞のことも、考えないだろう。私が考えるのは、娘との散歩。妻ととのんびり過ごした午後のひと時。幸せで健康で愛されていると知っている家族と囲む夕食。そして、私がそのすべてをきちんとできていたかどうかを考えるだろう。
書籍版164頁より引用。
オバマ大統領のスピーチ原文はこちらです。
私が死の床にあるときに思うことは何でしょうか。きっと、条文の解釈でも、審査官に出した意見書の締めの言葉でもないでしょう。母と歩いた野道、夫と歩いた井の頭公園、挙式後の青島神社の青い空と海、妊娠が分かったとき、無事に生まれてきた娘、「おかあさん、だいすき〜」と抱きついてくる娘。これから先もきっと、家族の思い出は増えていきます。仕事に邁進したことも、余裕があったら思い出したいところではありますが。
読後の思い
願うのは希望するライフスタイルに合わせて働けて、賃労働とケア労働の比率を柔軟に変えていけて、それらをキャリア断絶・ブランクと捉えないでいけること
— 鉄欠乏性たかえc(❛ω❜っ)3 (@tk_e) 2018年4月28日
そこら辺は
仕事と家庭は両立できない?:「女性が輝く社会」のウソとホント https://t.co/wutCvdHJnD #Amazon で得た思いです
私自身はこれから第二子を出産して、二児の育児に邁進します。休業期間は1年超にわたり、その間にも技術革新や法律・規則改正があるでしょう。職業的にはブランクになりますが、人生のブランクとは捉えない決意でいます。
「今日も何もできなかった…」と黄昏泣きをしたって、そこに子どもたちの笑顔があるならそれで合格、賃労働の競争にない人生の価値を噛み締めていきたい思います。
ご紹介の書籍はこちら
仕事と家庭は両立できない? Kindle版 アン=マリー・スローター (著), 篠田真貴子 (著), 関美和 (翻訳)
こちらも併せて読むと良いですよ
今回ご紹介の著が総論とすれば、こちらは実践編的な各論です。「専業主婦(≒ケア労働主担当)は職業的なブランクではない」ことがよくわかります。ぜひ。