今日のタイムラインから考えたこと。
子どもの宿題丸付け大変問題
2022年7月26日のワーママタイムラインにかけていった「子どもの宿題丸付け大変問題」
小学生のお子さんがいる先輩ママと話してると必ず「宿題の丸付けが大変で」「毎日音読を聞くのは良いけど寝る時間の確保が難しくて」という話になり、「私たちが子どもの頃って親に宿題見てもらわなかったですよね?」「いつ頃から親が採点する仕組みに切り替わったんでしょうね?」という話になる。
— おたま@男子二児の母 (@otamashiratama) July 25, 2022
2006年に教育基本法が改正されて、子どもの教育は家庭が第一義責任をもつと定義されたからと思っていました。子どもがなにを学び、理解しているか、親が把握すべきってことかと。
— よっちゃん+ (@yottyan101) July 25, 2022
学習効果やコミュニケーションの利点はありますが、大変ですよね。
そうそう、よっちゃん+さんのおっしゃるような情報が欲しかったんですよ私は
みんな自分の経験や思いを語りがちなんすよね、こういう話題では。
改正教育基本法を見てみる
さて、教育基本法2006年改正条文、新旧対照法から拾ってきました
教育基本法改正 “国と郷土を愛する態度”などを教育目標に掲げ、「大学」「私立学校」「家庭教育」などの条文を新たに追加 -旺文社 教育情報センター 19 年 1 月 より引用
1項ははいはい思うけど、2項の努力義務に基づく施策て何か受けました?
家庭での採点はこうしましょう、お子さんへの声かけはこうしましょう、宿題をやらない?終わるまで食事はナシにしましょう、とかさ、なんかパンフ置いてあるのかな自治体に。てか教育委員会か。どこにあるん教育委員会。
うちは両親祖父母とも教師でして、彼らは昭和〜平成代の教師ということになります。
平成代に入ってからはモンペ対応などに追われる姿も見てまして、その頃小学生だった私の「家庭教育」はなかったです。どっちかというとオリジナル音声教材のアテレコに駆り出されまして、私の声で作った歯磨き啓蒙テープで歯磨きの大事さを知った教え子さんたちも多いことと聞きました。
さておき、
宿題を見るのは大変です、はい。
音読を聞き、丸つけし、間違えたところは×つけて「ここ直そうか」と声をかけ、満点至上主義の子の肯定感を挫き、せめて誤答の消去はやってやり、イライラされながら再度宿題に向かわせて、
「子どもの躓きに早めに気づけるからいいじゃないですか」
はいそうですね、そう捉えられたらいいですね
「家庭教育」のガイドラインを知らんやん私ら
さてここでの声かけってどうしたらいいのでしょう
「またこんな簡単な問題を間違えて。誰に似たのかしらね」
「間違えちゃったらまたやり直そ。次は間違えないぞー!て頑張るきっかけだよ⭐︎」
「ほんとあなたはバカなんだから」
どこかに情報無いですかね、だって私たち、家庭教育かくあるべしの共通認識を持ってないですもの。
どうにもこの改正教育基本法は、旧統一協会との関連が疑われる第一次安倍内閣の頃になされたものでして、昨今の報道によれば、その旧統一協会は自民党政治に深く関与しており、子ども庁の名称に子ども家庭庁と「家族」をねじ込んだり、なかなかのsomething bigでは、という印象です。
家庭教育を受けていない人が家庭教育を取り仕切れるはずねぇじゃん
私自身は、子どもの学びを「家庭」に移譲することにあまりメリットがないと考えております。
かつて「家庭教育」を受けていない、言うなれば学校教育のみで学歴や職歴を得た大人たちが親となって、2008年になって急に「家庭教育です!!」と言われ、明文化された家庭教育の義務を負い、かつ10条2項の地方自治体の義務に基づく施策を受けたか?
丸つけの仕方や家庭教育の🆗🆖事例を知っているか? *1
それこそ均一/均質ならざる「家庭」に「教育」を委ねたらなお混乱しませんか
学校教育は学校教育の中で完結すべきではないか、というのは持論として強くなるばかり
家庭教育をも教育に含む結果、家庭へのケアも教員の負担になっとるやん、巡り巡ってよぉ *2
上掲通り、うちは教員一家です。2006年を前に家庭へのケアをも教員の仕事として負っていました。
やってたから偉いよねーとかじゃなくてさ、教員のケア範囲は「教え子まで」でいいんじゃないかということ
特にお弁当持たせなきゃいけなかった事例は、当該家庭の育児放棄に近くて児童相談所マターやんかと今になって思う。親への福祉を学校教育から捻り出すことに無理がある *3
逆を言えば、
逆を言うと子への福祉を学校教育に求めることも無理があるっていうことです
ここは親として気を引き締めるところ *4
一方で、もし宿題のない教育界になったとしたら、帰宅後の子どもたちは二極化することでしょう。
教育熱心なご家庭であれば「家庭教育」をするでしょうし、教育に冷めたご家庭なら家庭教育もなく、学力の面で見れば広がるばかりになる、
その「差」を生じさせないように学校教育を均質なものにしようとするもがきは見て取れます。だけどさ、さすがに私たちは かつて「家庭教育」を受けていない、言うなれば学校教育のみで学歴や職歴を得た大人たち なんですもん。
それでも、やれと言われたらやるほかない。出来なくてもやるの、の意識で小学生親を駆け抜けねばならない。
でもやっぱり、どーにかならないかな、とは思う。