Kindleで読みました。「ケーキの切れない非行少年たち」宮口幸治
「手が届かないエリア」の可視化
本書がベストセラーたる所以は「非行少年たち」が非行に走った理由の一部を明確に世に知らしめたところにあると思います。
本書を読めば、軽度知的障害や発達グレーゾーンといった支援の手が届きづらいエリアが可視化されてきたということ、時代による尺度の変更や解釈の違いといった揺らぎのせいで「支援不要」と「支援必要」のギャップに落ち込んでしまい、落ちこぼれ、怒り、いじめを受け、その怒りや悲しみの発露として非行に走ってしまった少年たちの、哀しい連鎖がわかります。
他の「犯罪者」へのまなざしが変わる
そして少年非行や幼児虐待の加害者に向けるまなざしが変わってくる。
「もしかして、この加害者たちは必要な支援を受けられなかった人なのではないか」
ただ悪意や害意をもって加害したりネグレクトに走った「ひどい奴」「ひどい親」に見られてしまう彼らも、もしかしたら、そうなのかもしれない。
区切り一つで身を置く場所が変わる恐ろしさ
特にIQ70で知的障がい者と健常者が区切られ、「軽度知的障がい」であり本来は支援が必要な少年が、健常者と同じ環境に放り込まれてしまうことには驚きとともに空恐ろしさを感じました。
やる気がないだの落ち着きがないだの、協調性がないだの、そういった曖昧でネガティブな言葉で苦境に追いやられる少年、自分の学齢期にもいたな、と思い出します。
適応障害が生じて当然です。
「こんな場所にいたくない。自分はこんなひとじゃない。こんな扱いを受ける人間じゃない」
自分の発達や知的レベルにそぐわない環境にいざるを得ない、適応障害のストレスは計り知れません。
そして彼らは、幼さゆえに「『こんな場所』以外の場所」があると分からないのです。今いる苦しい場所から出るすべを持たないのです。この点は、子を持つ親としてギクリときました。
「大人」もこの問題を知らない現実
私は発達障害や知的障害について、自分自身も精神障がい者であることから健常者よりは知識があると思っていたのですが、本書を読んで全くこの「グレーゾーン」の問題を知らなかったことに気づかされました。
学習障害や軽度知的障害、境界知能の子どもはそもそも病院には来ないのです。(第6章 褒める教育だけでは問題は解決しない より)
子どもの異変や困難に気づき、病院に連れていくのは「大人」です。しかし大人がこの問題を知らないのなら、子どもに適切な支援を繋ぐこともできないことは自明でしょう。ただ茫然と「困った子だなぁ」と問題をやり過ごしてしまうかもしれません。そうやり過ごしている間に子どもの心は蝕まれていき、そして最悪の事態に陥るかもしれません。
医療者や法務技官といった支援者側の多くもこの問題に気づいていないことが多いと本書の中にあります。まさに
われわれ大人が彼らの人生を台無しにしてしまっているのです。(第5章 忘れられた人々 より)
「非行や犯罪は良くない。社会から滅するべき」と標榜する傍らで、私たちは毎日の暮らしの中で子どもの人生を台無しにしていないか。子ども(時には成人も)の異変や困難に目を向け、手を貸してあげられるか。考えるための契機となりました。
問題の改善に向けて
私は直接的に障がい者支援や非行少年の更生に関わる身ではありませんが、選挙でこの項目を挙げる候補者がいたら(ほかの政策も加味しつつですが)応援・投票すると決めました。そして、本書を読むことでこの「手の届かないエリア」「忘れられた人たち」への支援拡充に関する社会運動への関心が、明らかに高まりました。
言わずと知れたベストセラーになっていますし、各所で言及もされている本書「ケーキの切れない非行少年たち(新潮新書)」。
より多くの「大人」が読むことで、非行少年のみならず、支援の届かない少年たちや支援の届かなかった大人たちの救済の道が拡がることを願います。