ツイッターで引用リツイート(以下引用RT)がかんたんに見られるようになってですね、、
上掲、4月23日記事です。テスト中とありますが、私が引用RTを見られることを確認したのは5月下旬。てことは全ユーザー対象になったんですかね。
地獄の門だった
端的にいうと私にとっては地獄の門でした。以下、私なりの分析、、
引用RTが見やすくなったTwitterこの世の地獄機能を存分に味わいトラウマになりつつあるんですけど(じゃあもう見るな)、
— たかえ 👒編みたい (@tk_e) 2020年5月22日
どーにも自分の意見(ツイート)が良くも悪くも知らん人の世界に取り込まれてそこで賛否のRTLが付きリプライがついていくことに「えっ違う待って」と戸惑うばかりになり
否定的な取り込まれ方をした先で弁明しようとそこはその人の作ったTLなので無力なのであり、再度ボコられて終わりってなるのが自明
— たかえ 👒編みたい (@tk_e) 2020年5月22日
否定的に取り込まれたことに反論の機会が与えられぬ不快
無力と不快、それらの錬成によりトラウマになってゆくのだった
総じて引用RTは見ないが良い
こわいよう
否定的な引用になると地獄
詳細は傷を抉るので省きますが、「私のつぶやきに対して」否定的な意見の方に引用され、相手方のタイムラインに取り込まれると、もう地獄です。否定、嘲笑、叱責、あんまり欲しくないものがわんさかありました。
「私のつぶやきに対して」否定的である、てことだけで、「私」に対して否定的である、てことではない、と信じたい。ただの140字内のつぶやき一つ、特定個人を嫌う理由はなかろうて、、そんな大したことない人を嫌うだけの労力がもったいないでございます、、(傷を最小限にしたいがゆえの発想)
なんといいますか、これってこういうもんだよね〜と言った例示であっても「これをこういうもんだという○○がいる!けしからん!!」といった取り込まれ方をして、そこにつくリプライが「そうだそうだけしからん」「排除すべき考え」「非常識な○○」とどんどんネガティブな感情が続いていくのでした。
そりゃ別の側面から見て「これってこういうもんだよね〜」に対して「そうじゃない!!」となることは当たり前なんですが、意図しない切り取りを受けると、「そ、そういうことを言いたいわけでは、、」とたじろいでしまいます。
あ〜これが「誤解を生じたのでしたら申し訳ない」「ご不快に思われたのでしたら申し訳ない」っていう謝罪になってない謝罪をしたくなる気持ちか、と体感しました。
--- Cited from 地獄の門 - Wikipedia
一方で天国も見える
時事が絡まないつぶやきについては、全て好意的な引用をされていました。
例えばこれ
同じようなこと(女子/年下だけ雑用させられ問題)で悩んでいた、悩んでいるひとの声がより深く入ってきて、令和になっても問題は根強いな、これは本当に断ち切らねばならぬものだと思ったものでした。
考える人の決断は
私はもう引用RTを「見に行かない」ことにします。FF外通知はもともとオフなので、FF外のご意見は見えてこない。相互フォロワーさんが引用RTした場合だけは見えるけど。
精神衛生上の判断です。
価値観の相違から生じる「見解の違い」は「ある」ということはしっかりと認識の上、ただ今の私には見えないもの、ということにしておきたい。
世界は広いし多種多様の価値観がある。その多様性を認めながら回ってきた世界なので、戦争もあれば平和もある。光あるところに闇がある。それらがあるのはわかっている。
しかしそれらをすべて受け止められるだけ、自分の精神は熟達していないのです。
これからも日々成長し、多様の価値観を認め、考え、悟りに近づき、天国も地獄もないと気づき、菩提樹の花のもとで解脱を前にしたとき、すべてを受け入れに引用RTを見に行こうと思います。