またまた「理系女子」が話題になってしまいまして、
デザインを「女子向け」にしたサイエンストイについて考えちゃってるんだけど、
— ぼちぼち働け🍜たかえさん (@tk_e) 2020年2月20日
ピンク、キラキラ、フラワー他「女子向けアイコン」が好きな人は好きでしょうな
「これ女の子は好きですよね」ではなく「これを好きな女の子はいるでしょうね」ということ https://t.co/7zHjpGSHSO
冷ややかな目線になってしまう。あたたかな目を向けられない、意地の悪い自分に辟易する。
(写真素材は 写真AC さまより)
私の中で「かっこいい、かわいいという人文科学的尺度を自然科学に当て嵌めることが可能なのか」という問いに発展している#女子向けサイエンストイ
— ぼちぼち働け🍜たかえさん (@tk_e) 2020年2月20日
なので、「ピンク!ふわふわ!キラキラ!好きでしょこれ好きでしょ!サイエンスたのしいでしょ!!」てな入り口を示されたら「順番が違うのでは」と思ってしまう、それが本件への違和感の正体
— ぼちぼち働け🍜たかえさん (@tk_e) 2020年2月20日
最初に発見ありき、それを拾い上げて認めて、伸ばしていく道筋に #サイエンストイ があればいいわけで
「順番が違うのでは」の疑問
” 特定の事象に興味関心を持ってほしいから、興味関心を持ってほしい人が好きそうなデザインでものを作りました ”
これだと、まず対象者の興味関心は「デザイン」に行っていることが前提となっているし、もっと言えば「デザインで釣っている」ということ。
釣っていようがいまいが、とにかく入り口をだね、という見方もある。わかる。
そこでまた、次の疑問が出る。
男児向け/女児向け のナンセンス
「デザインを女の子向けにしました」の言葉の意味。
後ろには「女の子はこういうデザインが好きですよね」の押し付けがある。
押し付けに気づき、同時にそれを否定できるようになったのが今の時代で、その押し付けを否定することで、楽になれた人もいるだろう。
だから「そういうデザインが好きな女子もいる」というだけの話し。主語を間違えてはいけない。
「女の子はこういうデザインが好き」
何の気なく放ったその言葉が、「あなたは女の子なのだから、こういうデザインを好まねばならない」そういう見えない檻を作っていく。
進路選択において大事なこと
そもそも進路選択において大事なことは、自分の中に芽生えた興味を潰されないことだと思う。
私は幸いにも、人が進めと命じる道を歩まないで良かった。世の中には、自分の意志の届かない道を進まざるを得ない人がいることも知っている。
「自分の心に響いたもの」を見つけるきっかけは生活の中にごろごろしてる
— ぼちぼち働け🍜たかえさん (@tk_e) 2020年2月20日
私の場合は犬を飼い始めたこと
生き物が好きだ、と親に言ったら、惜しみなく本やビデオシリーズを買ってくれた(それ相応の交渉とプレゼンテーションもした)
何より自分の進路を肯定してくれる環境が、私を理系に進ませた
私が親に買ったもらったのは「 NHKスペシャル 驚異の小宇宙 人体 」のVHS 6巻セット。
何度も何度も見た。そして人体、生物、生物が織りなす世界に感動した。今もなお生物が好きで、その周辺分野である化学も好きだし、薬学や有機化学にも興味が尽きない。それらの学問で得た知識とともに生活し、子どもを育てている。
ここでひとつ気を引き締めておかねばならないことがある。
子どもたちに「理系に行け」などと強要しないこと。
自分がサイエンスのすばらしさを知って人生が豊かであること、それは私一個体のものであって、彼女たちは彼女たちの興味がある。心のよりどころにすることがある。
私はそれを否定せず、潰さず、守り、その興味を伸ばすように努めなくてはいけない。
かつて「女の子は地元で就職して、親の近くにいないとね」などと言われて、見えない檻に閉じ込められそうになった。
檻から抜け出してたどり着いた今なんである。そして親も、囚われるなと、自分の好きに生きろと檻から出る手出すけをしてくれた。
私はただ「潰されなかった」だけ。その幸運を子どもたちに繋いでいく。
最初は「女児向けサイエンストイ」への反発から入ったが、サイエンスへのエントリーの仕方はどうあれ、親の努めは何なのか、というところにまで考えが至った。
これも「女子向けサイエンストイ」がもたらした事象であるから、やみくもに否定しないで、むしろ開発者に感謝せねば、と思う次第。