引き続き出産と産後に向けてあくせく準備をしております。
着々と準備を進めているとはいえ、気にかかるのは、私が入院して不在の間、日々の暮らしが円滑に回るかどうかです。おそらく1週間程度家を空けても大丈夫とは思うのですが、戻るときには新生児を連れているわけで、できるだけ混乱なく過ごして欲しい、とかなり慎重になっています。
そういったわけで、はてなブログに認証方式のPrivate Blogを作り、最近はそちらを書いてばかりです。そこで気づいた #名前のない家事 のボリューム。2000ワード超えのエントリがわんさかと。ここまでヘビーなことしとったんかワレ。
俯瞰してみて改めて思った #名前のない家事
兼 このエントリのコンテンツ
定義から:#名前のない家事 って何?
モコズキッチンも長いけど我々はいつになったら洗い物をするもこみちやオリーブオイルの補充をするもこみちが見られるのだろうな #名前のない家事
— 鉄欠乏性たかえc(❛ω❜っ)3 (@tk_e) 2018年5月23日
Wikipediaにもありました。シャドウ・ワーク - Wikipedia
このように、「家事の10分類」に入りそうで入らない、そのくせしないという選択肢がない、地味な地味なじみ〜な家事が #名前のない家事 とされています。
twitterで #名前のない家事 タグを追ってみるとこんな感じです。
「そう言えばそうだね、これも家事だね」と頷けることばかり。RT数といいねの数は共感や「よく見つけたね」と言った感心の現れだと思います。
#名前のない家事 の深奥
主体性と当事者意識の問題
上記ツイートを詰めていきます。
モコズキッチンでは食器を洗う描写もオリーブオイルをオイルボトルに詰め替える作業の描写もありません。
しかしながら、使った調理器具も盛り付けた食器も「誰かが」「どこかで」「時間をかけて」洗わないともこみちさんの手元に美しく表現されないわけですし、おしゃれなオイルボトルに入ったオリーブオイルもそのまま売られているわけではなく、購入時のボトルから「誰かが」「どこかで」「時間をかけて」移し替える作業がないと、追いオリーブも出来ないわけです。
それでもモコズキッチンの尺の中でこのような情景が放映されたことはないですよね。
速水もこみちだって家ではお皿も洗ってるでしょうし、オイルボトルへの詰替えもやってるでしょう。でもテレビだから #名前のない家事 はカット。尺が足りない。
先日モコズキッチンで皿を洗うもこみち、オリーブオイルの補充をするもこみちがいつになったら見られるのか、と思った件でもあるんだけど、貴方はおいくら出してもらえたらそれらの #名前のない家事 #シャドウワーク を引き受け続ける(続ける、てのがポイント)のでしょう
— 鉄欠乏性たかえc(❛ω❜っ)3 (@tk_e) 2018年5月27日
「あ〜また追いオリーブしやがって〜〜〜お皿洗うの大変になるじゃん!!!」と一言の愚痴もこぼさず続けられるマインドを醸成するのは難いと思うんだ
— 鉄欠乏性たかえc(❛ω❜っ)3 (@tk_e) 2018年5月27日
「わぁ☆今日もオリーブオイルいっぱい!お皿ベタベタ!働きがいがあるぅ♡」てポジティブ変換出来る人間ばかりでもなかろ
オリーブオイルを美しくドバドバするためのシャドウ・ワークだって言うのに
そもそもオリーブオイルがわざわざオイルボトルに詰め替えられている所以は何でしょうか。
見栄えです。作業性です。
もしもオイルボトルに詰め替えてなかったら
買ってきたボトルそのままドボドボしたらスポンサーに悪いし、「あ、あれローソソストアで108円だったやつ」みたいに分かっちゃったら嫌だし、注ぎ口も調整しづらいですから、調理者であるもこみちさんの意図した量を注げないですし、一分一秒を争う調理の現場においてオイルベタベタのキャップを回して開けてキャップをちょっとそこに置いておいて必要量を計量してボトルそのままに置いておいたらまたキャップを締めないといけないですし。
見栄えと作業性の向上に一役買ってますよね、#名前のない家事 。
何にでも「目的」があります
このように、いかなる些細な #名前のない家事 においても、作業性を上げるため、快適性を上げるためといった目的が根幹にあるわけです。
Private Blogをタイプしていても思ったのですが、例えば保育園児の持ち物の整え方についても、準備品のどれか一つが欠けたら、困るのは子どもであって、保育士さんとなってしまいます。子どもと保育士さんが滞りなく日中を過ごせるように整えたい。そういった根幹の思いを書き連ねるうち、文字数が膨大になってしまいました。
意識が揃っていないと #名前のない家事 は単なる喧嘩のタネ
最近ケア労働ケア労働うるさいアカウントに成り下がっておりますけど、10ヶ月に及ぶ人類史上最大級のケア労働「妊娠」がそろそろ終わり、その次にまた「出産」と「育児」を控えておる身でございます
— 鉄欠乏性たかえc(❛ω❜っ)3 (@tk_e) 2018年5月27日
何卒ご容赦のほど、よろしくお願いします#妊娠後期 37w3d
私は、我が家の #名前のない家事、ケア労働を担う主婦として、母親として、一貫して「ケア労働を軽視すべきでない」と主張いたします。
その根幹をなす考えはこちら、読書レビューのかたちでも表明しております。
「外注したら?」の意図
それでもなぜか、ケア労働者からの声に対して「それなら外注したら?」「外注したら○○円、家事の価値なんてそんなもの」といった冷徹な声が折に触れて湧いてきます。価値観の共有ができていないから生じる問題。まさに価値観の不一致から生じる喧嘩のタネです。
この喧嘩の火種を目にするたび、主に賃労働者がするケア労働の軽視と、意識の分断を深く考えてしまいます。
Imagine, ケア労働がない世界
極論で考えれば、一切のケア労働がない世界を考えてみると良いです。
一般的な「ケア労働」の定義するところは、家事・育児・介護となりますので、ここでいうケア労働を家事に絞って考えます。
想像してみてください。
食事の準備も、衣類を整えることも、住環境を整えることもない毎日。
深夜のダメ恋図鑑(岡田衣良)3 に、そのもしもの世界が表現されておりました(佐和子が出ていったあとの諒くん)。
「そんなの外注で済ませれば」とあれば、さらに想像してみます。
三食とも外食で済ませ、衣類は新品を買うか肌着から何からクリーニングに出し、住環境はお勤め先に宿泊するか、ホテル連泊。
現実的ではないですよね。おいくら稼げる賃労働者ならば、それが達成できるのでしょうか。お考えが及ぶ方にはぜひ、ご教示いただきたいと思います。
相互扶助と互譲の精神で相互に称え合えないものか
常々思うのです。貴方が靴下をひっくり返したまま洗濯機に放り込んでも、さらにひっくり返して洗い上げてくれる技術はまだ開発されていないし、そんな魔法もありません。誰かがどこかのタイミングでひっくり返った靴下をひっくり返してくれるから、貴方の靴下はひっくり返ったままではないのです。
自分を含めた「誰か」の「どこか」の見えざる時間と手間を考えたら、靴下はひっくり返さず脱ぎ、洗濯機または洗い物かごに入れるでしょう。
誰にとっても時間や手間は貴重です。「愛があるからどんなことでも」なんて美辞麗句は面倒事を引き受ける方が発する言葉であり、相互扶助の精神にタダ乗りしているだけの方が発するには不適当です。
もちろん賃労働だって大変ですよ分かってます
私は、ケア労働を軽視しないでね、という対極として「賃労働の方が楽でしょ」とは思いません。それぞれに大変さがあり、相互に尊重すべきものと考えています。
私もいち被雇用者ですし、個人事業主でもあります。
自分の能力を最大限に発揮して「お金を稼ぐ」ということは、自身の健康管理に始まり、日常の情報収集から、社会情勢を分析してトレンドに乗り、顧客ニーズを的確に掴み、最大限のアウトプットをする、大変なことです。
賃労働の根っこは適切なケア労働にある
何事にも身体が資本とは言ったもので、その資本たる身体はどうやって健康に保つかと言われましたら、ケア労働による家事・育児によって生み出されるものとしか言いようがない。
そのあたりの論考は「保育園義務教育化」(古市憲寿)に詳しいです。
けどみんな #名前のない家事 が大事って気づいてきてるよね
こちら数年前に、新婚ほやほやで越してきた街(現居住地)のブックオフで手に取ったムック本なのですが、
「お、『男の家事』とな?靴下を裏返しにして床にほっとかないとか、油ベタベタのままの食器を放置しないでおくとかそういうライフハックかな?」と思って手に取ったら「丁寧に時間をかけてドレスシャツにアイロンかけする手順」とか「晴れた日の週末のシューズケア」とかでそっ閉じしたものです。
しかし月日はながれ、平成最後の夏の今、「男の家事」でのAmazon Kindleストアの検索結果 は大変充実した結果になっております。冊数自体も増えておりますし、具体的な家事労働についての情報が得られる書籍が並んでおりました。
私のなせる #名前のない家事 とこれまで受けてきた #名前のない家事
もう一度、あの言葉
家族をないがしろにしたら、その責任に失敗したら、ほかのすべてに意味がなくなる。私が死の床につくとき、自分が作った法案のことを考えたりしないだろう。自分が進めた政策も考えないだろう。自分が行ったスピーチのことも、ノーベル賞のことも、考えないだろう。私が考えるのは、娘との散歩。妻ととのんびり過ごした午後のひと時。幸せで健康で愛されていると知っている家族と囲む夕食。そして、私がそのすべてをきちんとできていたかどうかを考えるだろう。 -バラク・オバマ
原文はこちらです。
母と作ったトッポンチーノ
ここまでつらつらとタイプしてきて、個人的なところに行き着くのですが、第二子のためのトッポンチーノが完成しました!!というエピソードで締めとしたいと思います。
先日、貧血症状がひどく、第一子の保育所送迎もままならず、新幹線6時間の距離の実家の母に応援を頼みました。母は小学校教員を定年まで勤め上げた女性で、家庭科も教えられますので、ミシン作業の面倒もみてもらうことに。
「このミシン目はちょっと変ね、糸調子はどう?あら、糸の渡りが違うみたい」「ここは布を連ねて縫うと切るのが一度で済むよ」など、家庭科ライフハックを逐次教えてくれ、きれいに仕上がりました。感謝です。
あと午前中は母に見てもらいながら #トッポンチーノ を作った#出産準備
— 鉄欠乏性たかえc(❛ω❜っ)3 (@tk_e) 2018年5月22日
ミシン作業奥が深い…
そして使用3年(左)と作りたて(右)の厚みの違いね… pic.twitter.com/ZnsM1EqOmT
トッポンチーノのお話しはこちらに↓。
私はこれから出産と育児とを控え、ふにゃふにゃの子を優しく抱きかかえてお世話・ケアをする、膨大で長大な #名前のない家事 を請負います。それを支えてくれるのは抱っこを楽にしてくれるトッポンチーノです。それを、これまで大事に私を育ててくれた実母に助けられながら一緒に作れたのは象徴的な出来事でした。一人で作業してミシン目もガタガタの不満足な仕上がりになったら、ここまで考えることもなかったでしょう。
このエントリ自体も長大になってしまいました。お読み頂き、ありがとうございました。