二児の子持ち30代後半(精神障害者保健福祉手帳3級)が考える「再就職のハードル」について
再就職へのハードル、何本あるんや
再就職へのハードルがいくつかあるな、と明け方のぼんやり感にシンクロしながら考えた。
体調
最近は薬量も安定して精神状態も悪くないのですけども、いかんせん手帳持ちなので一般求人に応募して障害者枠でどうのこうのとなったら、さてはてどうなりますでしょうか、というところ。
あれやこれやとややこしく「クローズドで一般就労しても確定申告で会社様には情報が行くし、オープンで一般就労できる雇用主は少ないですし、」と窓口で丁寧に応対してくれたハロワの職員さんも言葉を選びまくる私の失業状態であります。
手帳持ちだろうとなんだろうと、実力主義の業界を生きてきたので、TOEICでハイスコアを出すとか国際英検だとか士業の資格だとか履歴書に書きまくれば、なんとかなろうか、とは思うところです。
しかしまだやる気が帰ってこない。早く帰っておいで。
家族
そして家族、家族を守ることも私の仕事なわけでして、今の家族の状況は、私が自分の体力気力を仕事に振ることができる状況なのか?と
子どもたちはだいぶ病気しなくなりました。0歳児クラスの次女1歳も、毎月のように外耳炎中耳炎をしていた春先が過去になり、元気です。
でも、あの頃の辛さは未だに身にしみています。病児保育室の近くを通るだけで辛さを思い出してギュっとなる。病児保育の保育室の一部屋を必死に確保して病児を送り仕事して迎えに行って看病して寝たあとにまた仕事して。
それでも「お子さんがらみでのお休みが多いので、うちではお仕事を続けられないのでは」とか勤め先からコメントされたこと。
子どもの体調なんて親の努力の届かないところ、どれだけ必死に立ち回っても、私は自分で自分の雇用を守れませんでした。つらい。一番つらいのは体調不良の子どもだってことも、つらい。
特に夫
あと夫。夫は変わらない。
月曜日の朝なんですが「今後も子どもの急な体調不良で勤め先に頭下げて休ませてもらうのが私だけなら、私は働きたくないでござる」って夫にいわないと今後も私はもやもやしながら生きていくんだろうな、と気づくなどしました
— たかえさんは何か考えています🍠 (@tk_e) 2019年11月10日
転職、育休復帰後すぐでも「俺休めないよ」の一言で、看護は全て有給休暇も付与されていない私の役目でした。「お母さんなんだからしょうがないね」的な目線が夫からも勤め先からも感じられ「私も労働者です」と言いたくて言えなかった、そんな日もつらかった。つらかったこと、夫は知らない。
知らないのも当然で、私は何も彼に言わなかったからです。言ったところで、彼はありあまる有給休暇を削らないんでした。
彼の中で「子どもの看病」は自分のお鉢に回ってこないでいいお役目なんだろうなって。自分の持病が子どもに伝染っても「早く病院に連れて行ってあげて」だそうで、子どもを病院に連れて行くのは彼の役目になってない。いや子どもが心配だから私が連れて行くけど、あなたのためじゃなくて子どものために行くの忘れないでね?
引き続き、子どものことを思うと「私が降りるしかない」
延々と「私が降りるしかない」という状況は続いておりまして
それら、女性が折れるのが「合理的」ゆえ、私以外のワーママ/元ワーママの多くがその合理性にないてきた、ということも知りました。
知ったところで、私が私のしんどさを言語化して認識したところで、夫には何も伝わらないんだな。哀しい。
そして自分、
夫殿にふつふつ怒っていて過去のムカムカも墓から這い出てきた
— たかえさんは何か考えています🍠 (@tk_e) 2019年11月5日
しかしyogaの呼吸を習得しつつある私は「まぁ毎週ガイアの夜明けを録画視聴してても分かんないことはあるよね」と彼を赦したのであった
夫に対しては、毎週ガイアの夜明けを録画視聴してても分からんことはあるでしょ、そんなもんなんだな、てもう色々諦めてきた。
その諦めてしまった自分こそが、一番大きな「再就職へのハードル」なのかもしれない。
諦めたらそこで試合終了ですよ、という言葉に勇気づけられて生きてきたスラムダンク世代ではあるんですが、安西先生の前で泣きながら「仕事が、、、したいです」とつぶやくだけで、膝から崩れて落ちるだけなのが、またしんどい。
髪を切ってバッシュ履くだけで立ち直れる高校生では、なくなってしまった。
今日の考え事は以上です。