解雇通知から1ヶ月半、まだ離職票は届かずもやもや中です。
ワーママに戻りたいような戻りたくないような。
またパンプス履きたいような、履きたくないような。
ワーママ引退から半月
8月31日付解雇なので、まだ半月くらいしか経っていないのですが、もう何年も仕事をしていない感じがします。
それだけ仕事をしている間は毎日を駆けていた。
急に「もう走らないでいいんだよ」と肩に手が置かれ、仕事はし続けるものだと思って走り続けた自分の足は止まりました。
告げられた「さようなら」に私は「え、うそ。何したらいいの」
戸惑うのみでした。
転職活動をしていない理由
いろいろ理由はつけてますけども。
私が今夏の解雇通知(雇用契約変更と聞いて2日後)を受けて転職活動をしなかった理由はいくつかある
— 👈たかえのお暇👉 (@tk_e) 2019年9月17日
・子どもが病気がちで今後もケアに回る必要があること
・夫殿の激務は相変わらず
・自分の障害受容
そしてトドメが
・制限ある中で働ける職は大抵「稼ぎ手男性のお妻様」向け、年収200万円台
子どもが病気がちなこと
次女1歳3ヶ月、中耳炎になりやすい子のようで、よく食べるしご機嫌で元気なのに39度の熱が出ることがあり、なかなかに気が抜けません。利用している市内の病児保育室はお迎えラインがあって、38度5分を超えたら預かりを受けてもらえません。
夫が頼れない今時分で、次女が高熱をだしたらば、私が看護休業を取る他なく、入社したてで看護休業をして周囲に頭を下げまくるのは心労のもとです。病児保育だってタダではないし、義母実母を召喚するにも飛行機・新幹線のチケット代を考えたら現実的な手段ではない。簡単に言うとすぐ詰むのです。
詰みが見えてて勝負に出られるか?
私には無理でした。
夫の激務が相変わらず
むしろ加速。
月に2-3回は国際線で往復しています。現地でいいホテルに泊まっているそうで(社費じゃなくてポイントとかカード会員特典とか使って私費で)、ビデオコールを繋いだらだいたいガウン着てシャンパン飲んでます。私にも飲ませろ。
夫が忙しいこと、それは夫の能力を買っている会社様があるということで、その会社様が提供するモノ・コトで生活が豊かになる人がいるということ。
正直、かつては私の能力も買ってもらえていて、その先に生み出される利益もあったんですが、諸々の判断をしたら私が仕事を降りて子どものケアに回るほうが「合理的」なのです。
合理的、頭では分かっていても、夫と私は同学歴、あるのは「男か女か」の性差のみ。
私はどれだけ学んでも、性差を超えられない。
性差を乗り越えるほどの努力をしないからだ、そういう声が聞こえてきます。
でも、これ以上、今以上の努力をすることは、今の私には無理でした。
「稼ぎ手男性のお妻様」向けの仕事しか出てこない
検索条件が悪いのは承知の上、しかし今、家族の暮らしを守りながら私が仕事をするにあたっては、年収200万円台の「子育て中の女性が働きやすい職場です!」といった仕事のみ。
どんな仕事でも貴いものです。それは分かっています。
しかし、国立大学の修士号を得るために努力した自分が見たらどう思うか。
微生物化学や有機化学を学び、昼夜を問わず研究し、ディスカッションし、論文の一言一句にこだわって得た修士号よ。
理数系選択のときを思い出す。
「これからは仕事において男女の別はなくなる。女子もがんばらんばよ」そう言った大人たちは、己が叶えられぬ夢を、諸問題を意識していながら、己の世代で解決することなく、次世代の我々に投げたのか。誰にぶつけていいか、ぶつけることすら無意味な問が浮かぶ。
世代を恨んでも仕方がないけれども私は、今のところは女性であるということだけで「稼ぎ手男性のお妻様」に収まる他ない。
時限があるとはいえ辛い。過去の自分を裏切るようで。
障害受容
双極性障害Ⅱ型の診断を受けてもう半年にもなり服薬量も安定していますが、まだまだ希死念慮に囚われる日はあり、服薬やストレスコーピングで症状に対処するには時間を要するようです。
総じて、自ら「新しい職場」という、健常者にとっても高ストレスの環境に身をおくことは病状の悪化につながることは自明です。
今は、勇気を持って遠ざからねばならない。
立ち向かうこと、それは今の私には無理でした。
なお、双極性障害Ⅱ型の気分障害、つまりは精神障害を持っていて、精神障害者保健福祉手帳を所有していること、これは企業様にとっては「障害者枠」のひと枠を埋めることができ助成金が受けられる状況にもなるし、私自身は一般就労もしており利益を上げることができていたことに鑑みれば、企業様にとっては利益になりうるのですが、それをプレゼンテーションする気力も、今はないのです。けどまぁ、難しいわな。
手痛い失恋をした気分
理由は上述のように3軸ございますけども、何より「手痛い失恋をした気分」なんです。
「この会社で頑張りたい」そう思って、あちらからも熱烈に恋われて、それで前職を辞してまで転職したんです。好きじゃなきゃ、ここまで行動しないでしょ。
好きだったんです。好きだったんです。
でも、届かなかったんだな、って。
最後に泣くのは私です
上記の、私が走り続けることを諦めた、全ての理由は絶対に乗り越えられる。
だけど、今の私には無理だ、そう膝をついて壁を前にただ泣いて、立ち止まっているのは私だけです。そして私が最後です。
前を走った人たちは乗り越えた。ただ諦めた人もいる。今走っている人たちはきっと乗り越えていく。これから走る人たちも、「全ては過去だ」と乗り越えていく。最後に泣くのは私だ。
私は、今と未来を走るあなた達を見送ります。見送って、応援します。
働くことを楽にしたり、家のことを楽にしたり、子どもとの時間をたくさん取って、家族みんなが穏やかに暮らせるように願ってやまない。
生活の上でしている工夫をどんどん伝えて、あなた達の役に立ちたい。
これからの、私の使命はそれ。
そう思ってこれからも、チャンネルはいろいろ、発信を続けていきます。