解雇通知を受けました。受け入れる予定です。
悲しいです。能力不足だそうで。子の看護のため、出勤率もギリギリ。
でもなんとかなるか、と思った矢先の通告で、かなりのダメージを受けています。前回エントリもしばらく非公開にします。
自分の持てる能力を発揮したつもりでしたが、あちらの要求に届かなかったとのこと。
色々言いたいことはありますがビジネスメールの範囲内で色々、京都風に言ってきたのでいいです。
ワーママ引退
さて、私は一旦ワーママを引退します
— ®︎たかえはしばらく療養です🍉 (@tk_e) 2019年7月31日
歯を食いしばりながら仕事を続けるひとも、子どもや家庭に寄り添う暮らしを選んだひとも、そのどっちもが悩んでいて、なぜ悩むかって、手に持っている全て、自分、家族、仕事、そのそれぞれが大切だからなんだって実体験を通して理解してます
どっちもすごいんだよ
「それぞれが全て大事だから悩む」
ほんと、これに尽きます。
私が職を失って得たものは喪失感でした。喪失の悲しみ、ただ自分が評価されなかった、という自己愛ではなく「もう仕事で人様のお役に立つことはできないのか」という種類の悲しみでした。
悲しみを生じさせるほど、私は仕事が大事だったんですね。
でももう、これ以上のものは手からこぼれて落ちてしまう。
何かを手放さなければ、最悪の場合は「自分」を大事にできない予感がします。「自分」が全ての根幹なのに、大事なものをいくつも並べたら、自分なんて小さいものなんです。
ワーママ第三世代を走って思ったこと
私の祖母は働く母でした。私の母も働く母でした。そういう意味で、私は第三世代のワーママです。そこを走って思ったことは:
性別役割分担意識の薄れ
旧態然の性別役割分担意識は薄れていることは、このブログを読む人にも感じられていることだと思います。保育園の送迎にパパの姿を見ることなんて、もう普通です。夫婦の二人が子育てをする、それが普通になっています。
しかし粘土層はまだ破れない
しかしながら、男性育休の法制化に関する議論が遅々として進まないこと、推進派と慎重派、そして反対派のせめぎ合い。
はたまた、働く女性に生じるフラストレーションも解消され得ない2019年。賃金格差、ママが飲み会に出たら「今日お子さんは?」と聞かれその場にいないパパが褒められ、時短勤務で給与は下がっているのに「楽できていいですね」などと同性からも謗られる。挙げたらキリがないです。
私だって夫殿と同じ経歴/学歴やのに、私は「稼ぎ手男性のお妻様」向けの仕事しか尻尾掴めないの、ほんと悔しい
— ®︎たかえはしばらく療養です🍉 (@tk_e) 2019年7月31日
これらの粘土層はいつになれば破ることができるのか。
男性のターンになりつつある
前項で例示した男性育休の話題のように、この専業主婦前提社会(コピーライト:中野円佳氏)と共働き社会の争い(この表現もどうかと思いますが)は、男性側の役割に変化が求められ、そしてその変化の主体に男性が入っていっている、それも実感としてあります。
そして女性の「ゆらぎ」
変化の主体の役割を男性も担うようになって、女性、ママはゆらぎが生じているようにも思います。
終業式を終えた娘がアサガオの鉢と座布団を抱えて帰ってきたのを玄関で出迎えて、暑かったねえ、お素麺食べよっかと2人でお素麺をすすり、宿題は早めにしようねとか自由研究はどうしよっかとか言いながら気だるい午後を過ごして夏休みの始まりを迎える、そんな日常を送らず仕舞いでいいのだろうか
— ゴールドなannie✨ (@annie_in_tokyo) July 23, 2019
気持ちがとても分かる。ゆらぎますわな。
最後に泣くのは私だ
諸般の困難はありつつも、マクロの視点ではそれらは解消されゆく実感があり、ただ我が家というミクロ目線でいえば、まだまだ「泣く泣く諦めた」ことになってしまったのでした。
でも子どもをもってなお仕事を続けることの難しさも実感をもって深く考えたし体験した
— ®︎たかえはしばらく療養です🍉 (@tk_e) 2019年7月31日
性別役割分担意識もある、なおさら、私は #九州で女性として生きること を知っている
呪いから解かれたかったよ
けどまだまだ、無理
「泣く泣く諦めた」人もいるし、私もその一人
最後に泣く人は私であって欲しい
これからどうするか:
これからどうするか:
— ®︎たかえはしばらく療養です🍉 (@tk_e) 2019年7月31日
しばらくは療養に努めます
国保に入るか扶養に入るかは夫殿と考える
子あざらしの教育のサポータとして注力したいとこだし、いい機会と捉えることもできる
自分の能力を棚卸しして足腰鍛える期間があってもいいでしょ
そういう社会になってるでしょ
なってるよ、これからそうするんだよ。大丈夫。
考えながら、子どもたちと歩きます
ともあれ時間ができたのは事実。子どもたちを守り育てつつ、家を守りつつ、出来る仕事はやっていきたいと思いますし、何より病気療養。双極性障害Ⅱ型の鬱エピソードにある中での解雇通知でありまして、かなりの鬱に見舞われているのは事実です。
とりあえずは読書からやっていこうかな。
なぜ共働きも専業もしんどいのか 主婦がいないと回らない構造 (PHP新書)
かつて、バリキャリになりたかった自分にかけた言葉を、もう一度。
ワーママだった自分へ、「頑張ったね、またいつか」