ほぼ黒ワンピース生活

ほぼ毎日黒のワンピースを着ています。考えたことなどあれこれと。

最後に泣くのは私だ

解雇通知を受けました。受け入れる予定です。

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悲しいです。能力不足だそうで。子の看護のため、出勤率もギリギリ。

でもなんとかなるか、と思った矢先の通告で、かなりのダメージを受けています。前回エントリもしばらく非公開にします。

自分の持てる能力を発揮したつもりでしたが、あちらの要求に届かなかったとのこと。

色々言いたいことはありますがビジネスメールの範囲内で色々、京都風に言ってきたのでいいです。

ワーママ引退

「それぞれが全て大事だから悩む」

ほんと、これに尽きます。

私が職を失って得たものは喪失感でした。喪失の悲しみ、ただ自分が評価されなかった、という自己愛ではなく「もう仕事で人様のお役に立つことはできないのか」という種類の悲しみでした。

悲しみを生じさせるほど、私は仕事が大事だったんですね。

でももう、これ以上のものは手からこぼれて落ちてしまう。

何かを手放さなければ、最悪の場合は「自分」を大事にできない予感がします。「自分」が全ての根幹なのに、大事なものをいくつも並べたら、自分なんて小さいものなんです。

 

ワーママ第三世代を走って思ったこと

私の祖母は働く母でした。私の母も働く母でした。そういう意味で、私は第三世代のワーママです。そこを走って思ったことは:

性別役割分担意識の薄れ

旧態然の性別役割分担意識は薄れていることは、このブログを読む人にも感じられていることだと思います。保育園の送迎にパパの姿を見ることなんて、もう普通です。夫婦の二人が子育てをする、それが普通になっています。

しかし粘土層はまだ破れない

しかしながら、男性育休の法制化に関する議論が遅々として進まないこと、推進派と慎重派、そして反対派のせめぎ合い。

はたまた、働く女性に生じるフラストレーションも解消され得ない2019年。賃金格差、ママが飲み会に出たら「今日お子さんは?」と聞かれその場にいないパパが褒められ、時短勤務で給与は下がっているのに「楽できていいですね」などと同性からも謗られる。挙げたらキリがないです。

これらの粘土層はいつになれば破ることができるのか。

男性のターンになりつつある

前項で例示した男性育休の話題のように、この専業主婦前提社会(コピーライト:中野円佳氏)と共働き社会の争い(この表現もどうかと思いますが)は、男性側の役割に変化が求められ、そしてその変化の主体に男性が入っていっている、それも実感としてあります。

そして女性の「ゆらぎ」

変化の主体の役割を男性も担うようになって、女性、ママはゆらぎが生じているようにも思います。

気持ちがとても分かる。ゆらぎますわな。

 

最後に泣くのは私だ

諸般の困難はありつつも、マクロの視点ではそれらは解消されゆく実感があり、ただ我が家というミクロ目線でいえば、まだまだ「泣く泣く諦めた」ことになってしまったのでした。

 

これからどうするか:

なってるよ、これからそうするんだよ。大丈夫。

6s-adviser.hatenadiary.jp 

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考えながら、子どもたちと歩きます 

ともあれ時間ができたのは事実。子どもたちを守り育てつつ、家を守りつつ、出来る仕事はやっていきたいと思いますし、何より病気療養。双極性障害Ⅱ型の鬱エピソードにある中での解雇通知でありまして、かなりの鬱に見舞われているのは事実です。

とりあえずは読書からやっていこうかな。

 

なぜ共働きも専業もしんどいのか 主婦がいないと回らない構造 (PHP新書)

 

 

かつて、バリキャリになりたかった自分にかけた言葉を、もう一度。

ワーママだった自分へ、「頑張ったね、またいつか」