Change.orgにおいて、下記キャンペーンに賛同しました。
豊田市のみつご虐待死事件の母親が子育てしながら罪を償えるように、執行猶予を求めます!
賛同しました
— たかえはアウトバック納車待ち (@tk_e) 2019年3月18日
以下のキャンペーンに賛同をお願いします!「名古屋高等裁判所 : 豊田市のみつご虐待死事件の母親が子育てしながら罪を償えるように、執行猶予を求めます!」 https://t.co/p4bcn2zQNL via @change_jp
しかしながら、全面的に同意するわけではありません。以下に理由を申し述べます。
私は彼女に休息してほしい。
私は彼女に休息してほしいと考えています。
キャンペーンが成功し法律的判断が改められ、執行猶予がついたとして、すぐに家に帰り育児する母親に戻らずとも良いのではないかと考えています。
子どもたちを健やかに育てるために必要なことをステップで考えていくと、まず彼女が休息を得て、心身の健全を保てるように回復することです。次に育児支援体制の再構築。家族が育児に関与する(アタリマエのことのはずなんですが)体制づくり。そして民間・行政が提供する育児支援のうち何を選択するか、いつまで頼むか。
司法と行政の役割に限界がある
社会全体として、子育てのあるべき姿はあれど、どのように育児を進めるかは各家庭の判断によります。
司法の役割
司法の役割は法律に反したものに対する処罰のみです。
感情論でなく法律論で考えねばなりません。たまに裁判長が罪を犯した被告を諭すことがありますが、稀なことです。司法は彼女とその家族に「貴方たちは、こういう子育てをしなさい」ということを命じることはできません。
行政の役割
行政にはいくつもの育児支援がありますが、それを選択する主体は家族です。
そしてその選択の主体は親であり夫婦のペアであるはずが、今回の事件では母親ひとりに委ねられていたようです。そしてキャンペーンページにもありますが、三つ子を連れて行政支援の相談に行くことが物理的に困難なのです。民間サービスであれば訪問が主体ですが、行政のものは電話相談はできても、対面での説明が基本になっています。ファミサポしかり。
母親に比して外出が容易な父親や他の家族がそれら支援を選択して、家庭の状況を考え判断し決定することもできたのに、なされなかった、それが悔やまれます。
「母親」に休息を
もう一度、「私は彼女に休息してほしい」理由を述べます。
子どもが生まれ育児に追われる日々が始まったら、休息する時間は無くなります。
「休む時間が無い無い言っても、スマホ見てる時間があるから出来るでしょ」という人もいると思いますが、育児の初期において、スマホは育児情報を調べるツールでしかありません。検索履歴を見れば「○ヶ月 △△ なぜ」「こども お風呂 一人で」の類のワードで埋まっています。彼女は毎日必死に、子どもたちの安全と成長のためのことを、検索結果から得ていたでしょう。一日のすべてが子どもたちのためのものです。彼女自身も生きていかねばならないのに。
私は彼女に休息してほしい。
ぼうっとして、窓から入る風を感じ、温かいコーヒーをすすって欲しい。そしてひと息ついて、学生時代に読みふけったあの作家の新作を買いに本屋に行こうかなとか、家族が増えるにあたって処分した自分のお気に入りを探しに行くのでもいい。
ましてや複数の子どもたちをひとりで守り抜かなければならないのなら、コーヒーなんて淹れる時間も買いに行く時間もない。ゆっくりと紙の本に目を落とす時間もない。自分の心を満たしたコレクションの置き場所は、もう育児グッズで埋まってしまった。
それらを一つ一つ取り戻して欲しい。そして自分の心を満たして欲しい。
それが抑うつ状態を抜け出すためにも必要なことだと思います。精神科医や臨床心理士による適切な支援が必要な場面です。
心を満たして、
それから、子どもたちのことを思い出すのもいい。また一緒に暮らしていくための準備を考えてもいい。
失われた命とともに過ごした時間を思い出して泣くときもあるでしょう。そのときは、彼女の心を受け止められる人が、彼女の震える肩をそっと抱き、悲しみを共有して寄り添えるなら、なお良い。彼女が、もう二度と孤独にならないことを願います。
どうすれば叶うか
理想論を述べても動き出す手段を述べなければ意味がありません。どうすれば叶うか考えました。
ディシジョンメーカーへの働きかけ
まずこのキャンペーンが成功することで、執行猶予付き判決となるように上告し、判決が改められること、執行猶予期間の初期に彼女の抑うつ状態を脱却できるようサポートが開始されること、入院加療かその間の生活の支援、そのための資金集め、様々の支援が必要になります。
資金調達
金銭的な支援は個人ひとりでは達成しづらいため、寄付型クラウドファンディングを利用するのも一つの手段です。
以上が私の意見です。
ここには賛同者である私の意見を申し述べました。それ以上でもそれ以下でもありません。
キャンペーンに賛同するかた、しないかた、それぞれにお考えがあることと思います。私は如何な考えであっても、各人のお考えを尊重することを申し添えます。