ほぼ黒ワンピース生活

ほぼ毎日黒のワンピースを着ています。考えたことなどあれこれと。

ワンオペ育児、「今自分が死んだらダメ」ってプレッシャーがすごいんですよ

日頃からワンオペ育児にどうのこうのとつぶやいておりますが、イマイチ何が辛いのかっていうことが明確になっていなかったなと思いまして、せやろがいおじさんの如くに勢いつぶやいたツイートに多数いいねを頂きまして、こちらのブログに解説いたします次第でございます。

 

 

ワンオペ育児の何がつらいか

もちろん家事育児とが自分ひとりの両腕にかかってくるという物理的な忙しさも嫌っちゃ嫌なんですが、私が一番恐れているのは「今ここで何らかの事故が起こり、自分が死んでしまったら、この子達は誰が守るのか」ということです。大事なことなんで先に結論を言っておきます。

 

我が家には0歳と3歳の女の子二人、絶対的に、大人が守ってあげなければならない存在です。

その二人を守る大人が私一人のとき、私は「いま死んだらダメゼッタイ」と自分に呪いをかけて野獣の心を宿します。

誤解があるな?

特定アカウントのRTやら何やらを見ていて、ワンオペ育児の何が嫌、何が辛いということに対して誤解があるように思いました。物理的に大変なことや自分の時間もないことが嫌なわけじゃないですよ。子の安全を守る人間が自分だけ、という状況に不安があるのです。

「物理的な大変さ」は回避可能

家事代行や外食、タクシー利用などで乗り切って当たり前です。子どもの安全確保と自分の体力温存の両方が達成できますし、いつも二人いる大人が一人いないのなら、その分をお金で解決するのは妥当でしょう。

一方で子どもの安全を守る人間は容易に増やせない

我が家もそうなんですが、両方の実家が飛行機の距離で日常的に孫の面倒を頼むことができない家庭にあって、ワンオペ育児でそのワンオペ担当者が動けない状況に陥ったら即詰みです。

ツイート引用させていただきます。

おれ、地域のママ友つくる…!

 

思い出される映画のワンシーン

あまり多くは語りませんが、大ヒット映画 「この世界の片隅に」のラストに登場する女の子の母は、幼いわが子に縋りつかれながら息絶えます。そしてその母の死を理解できず、虫がたかり、朽ち果てていく母の遺体に寄り添い続ける女の子。

この世界の片隅に -Amazon Prime Videoにリンクします

ワンオペ育児と趣旨は違いますが、殊更胸が痛むシーンですし、我が子と我が身に置き換えるとなおさら辛い。 

子どもと暮らして怖くなった「自分の死」

かつては自分も「あーもーいつ死んでもいいや〜〜〜」と人生諦めモードに容易にスイッチしていたものでした。

けれども子が生まれ、ともに暮らしていくうちに「この子が自分で歩けるようになるまでは死ねない」と思いはじめました。そして、その「〜までは」がどんどんと伸びていき、ランドセルを背負うまでは、大学に行くまでは、花嫁姿を見るまでは、孫の顔を見るまでは、と、自分の人生を諦めるタイミングが延々と順延されてしまったのでした。

それらの「〜までは死ねない」の積み重ねで人生が折り重なっていくのだなと、人生の先輩である母や祖母の笑顔を重ねて「私もがんばるね」と考えたものです。

 

どう解決するかを考えるべき

こう不安だ不安だ言うのみでとにかくパートナーの行動を変えようとしても、他人と過去は変えられず、自分と未来は変えることができるのは普遍の真理です。

そういったわけで、次エントリにて、いかにしてワンオペ育児に際しての不安を解決・解消できるか考えることとします。